「まち むら」104号掲載 |
ル ポ |
明るい村づくりから始まった「柿色に染まる集落の復元」への挑戦 |
宮崎県都城市 NPO法人正応寺ごんだの会 |
「やっさごんだの見える風景を復元しよう」――そんな地域復元運動と明るい村づくりに意欲的に取り組み、全国でも珍しい地域ぐるみのNPO法人を設立したのが「正応寺(しょうおうじ)ごんだの会」(2006年5月NPO法人設立)だ。 宮崎県の南西部に位置する都城市は、東に鰐塚山系、北西に高千穂峰を仰ぎ、三方を山に囲まれた広大な盆地を形成している。2006年1月1日に旧都城市と北諸県郡の四町が合併し、現在人口約16万8000人が生活している。同市の基幹産業は農業で、農林水産省が公表した2006(平成18)年度市町村別畜産産出額が全国で第1位、農業産出額が全国で第2位の畜産地帯だ。 そんな都城盆地の中心地から南東部へ約6キロ離れた、金御岳の麓に安久町正応寺集落がある。山の裾野に広がった集落は畜産や露地園芸など農業が盛んで、人口およそ500人強、そのうち約6割が農家という小さな集落だ。しかし、集落の人口も年々減少傾向にあり、65歳以上が全体の34パーセントを占め高齢化が進んでいる。 50年間進歩のない集落 かつてこの地域は柿の名産地で、渋柿のことを方言で「ごんだ」と言い、昭和30年代頃まで渋柿の生産を行なっていた。柿が実る頃になると集落全体が柿色に染まり、その美しさに遠くから見物人が訪れていたという話が伝わっている。しかし農業情勢の変化に伴い、圃場整備で柿の木は切られ、今ではわずかに残るだけとなった。 また、集落の道路は鬱蒼とした樹木や竹林に覆われ、暗いイメージとなり周囲から「50年間進歩のない集落」と言われるようになった。そこで、集落の暗いイメージを払拭するため、1995年から自治公民館長の石井和郎さんを中心に、集落ぐるみで「明るい村づくり」への挑戦が始まった。 自分たちでできることは自分たちでやる 石井館長は「正応寺村づくり協議会」を立ち上げ、環境・景観の保全と集落営農の確立、都会との交流の場作りを目指した。また、村づくり活動では「一、自分たちで考え、自分たちでできることは自分たちでやる。二、一歩二歩先を考えた先取り行動をする。三、地域住民全員が公民館活動に参加する」の目標を立て、手始めに明るい道路づくりに着手。狭くて暗い道路上に鬱蒼と茂っていた樹木や竹林を取り除くため、庭木の剪定運動を地域住民に呼びかけた。明るい日差しが立ち込め、見違えるようになった道路の景観を守るため、1996年花いっぱい運動にも取り組んだ。また集落活動の拠点となる営農研修館を建設。地域農業の活性化では昭和40年代に伐採され、途絶えたごんだ(渋柿)の生産を復活させようと計画した。2004年2月には田園空間整備事業を利用し、地域住民143人(スタッフを含む)が自発的に集まり植樹祭を開催。やっさごんだの見える風景復元への第一歩を踏み出し、およそ1000本の西条柿苗を植樹した。 同集落では、農業者の高齢化や担い手減少が進む中、永続的な農業生産システムを構築するため集落営農が重要と考えた。そこで、これからの集落の農業・農村のあり方について、専業農家をはじめとする様々な規模の農業者と、農業と直接関係のない一般住民も参加して知恵を出し合いながら取り組んでいる。 地域ぐるみで取り組むNPO法人 2003年5月に柿生産組合が発足し「ごんだ柿や西条柿を使って何か加工品が作れないか」と模索。飲んで健康に良いとされ、さらに虫などが嫌がって寄り付かないことから、作物の防除にも活用できるのではと「柿酢」づくりに取り組みだした。 みんなで話し合い活動していくうちに夢が膨らみ、2006年5月には会員制のNPO法人「正応寺ごんだの会」を設立(正会員40名、サテライト会員45名、2007年2月現在)し、グリーンツーリズムを推進している。同年八月には「農業伝承の家」が完成し、柿の直販や柿酢・さわし柿の体験、ごんだ汁などの伝統料理や伝統的な暮らしが体験できるようにした。 また、村づくり活動の目標に「地区の基幹産業である農業を守り育てること」を掲げている同集落では、2007年4月にNPO法人の事業を補完し荒廃地解消を図るため、集落営農部を別会社にし(株)「ごんだ農産」を設立。地域の資源を有効活用しようと、集落内の荒廃地対策を実施。開墾した荒廃農地を利用しダイコン(方言でデコン)やカンショ(カライモ)の生産と柿の植栽を行なっている。生産された農産物は「切り干しデコン」や「かんころもち(からいも餅)」の材料となり、加工品として販売している。 地域住民みんなが主役 正応寺村づくり活動は、地域住民に参加を求め住民の意見を採り入れる「住民参加型」の組織づくりに特徴がある。地域で暮らす住民自らが地域と集落・住民を知り、その活性化を参加者みんなで考え行動する。「誰かがやってくれる」ではなく、「自分たちでできることは何か」を考えそれを自分たちで実行する。まさに参加者全員が「主役」となって動き回っている。 同集落の活動目標に「子供たちが郷土を誇りに思い、高齢者が安心して暮らせ、若者が住みたいと思う村づくり」というのがある。自分や子供たちの周りにある物と人を自らが探し出し、農や自然の大切さとふる里の素晴らしさを学ぶ。正応寺集落の「明るい村づくりと柿色に染まる集落の復元」への挑戦は、まだまだ続く。 |