「まち むら」112号掲載
ル ポ

地域の交流の場としての車内。 暖かな会話が、今日も絆を繋いでいく。
静岡県掛川市 原田地区通院車運営委員会
時代の変遷に取り残されていく交通弱者

 マイカー時代の到来とともに原田地区唯一の交通機関として重要な役割を果たしてきた路線バスの乗客が年々減少。昭和62年、遂に路線バスが廃止された。これは交通弱者である高齢者にとって死活問題であり、区長会は直ちに「路線バスの復活」を目指して掛川市への陳情を重ねた。しかしバスの廃止は原田地区だけでなく他地区にもあり、バス会社の経営方針を動かすことは難しく、交渉は不成功に終わった。
 平成2年、原田地区は県の地域福祉活動促進モデル地区の指定を受け、福祉意識調査を行なった結果、高齢者の「病院へ行く足」の問題がさらにクローズアップされた。当時、自分一人で通院できず、タクシーでの通院や、朝は子どもの通勤車で帰りはタクシー、原田駅までの送り迎えなど、何らかの方法で通院をしている人が、18病院、175名。生涯学習都市宣言をしている掛川市であるにも関わらず、市の周辺部では病院に通いたくても通えないという実情が明らかになった。


ボランティアの組織化
福祉はすべての人のためのもの


 路線バスの復活の陳情から約2年に渡る交渉の結果、市は「市の責任による通院車運行の必要性」は認めたものの、宝くじ福祉基金を利用して市が購入した「宝くじ号のバス」を貸与する代わりに、運行はボランティアが行なう「通院車」の提案がなされた。原田地区は「通院車運営委員会」を組織設立。他人の命を預かる運転ボランティアに心配の声もあったが、女性4名を含む18名が運転ボランティアに名乗りを上げた。
 「福祉は特別な人のものではなく、すべての人のためのもの」という専門家の言葉に感銘を受け、その理念を広く地域に啓蒙していた運営委員会の山本会長も率先して参加し、「生涯学習都市宣言の中には“健康で生き甲斐を持って生きて行くために…”とうたわれているが、その生き甲斐とは人との触れ合いの中の感動によって生まれるもの。運転ボランティアは人生における感動以外の何物でもない」との思いを伝えている。
 昭和54年に全国に先駆けて生涯学習都市宣言を発表し、その理念が確立されていた掛川市。各地域の学習センターでは書道や舞踊など『芸』の学習は盛んに行なわれていたものの、当時はボランティアに対する認識が浅く、この通院車運行をきっかけに、福祉の原点はボランティア活動であり、この後起こる『一人・一芸・一ボランティア』を目標とする「ボランティアの組織化」にも大きな刺激となった。


数々の課題を乗り越えて友愛はらだ号は走り続ける

 運転ボランティアも集まり、運行を目前にして運行方法に問題が発生。というのも原田地区は山林が大部分を占めるため面積は掛川市で2番目に大きいものの、個数は450戸、人口1900人と典型的な過疎地域。西之谷川と東川の2つの谷に分かれているので、通院バスが1日に2つの谷を回ることは困難。協議の結果、川の谷に沿って2つのコース、Aコース(上西―中西―久居島―高山―寺島)とBコース(平島―正道―栃原―桑地)を定め、月・木曜日はBコース、火・金曜日はAコースと分けて週4日の運行が決定した。
 市が購入し貸与された通院車の名前は『友愛はらだ号』。路線バスの廃止以来、原田地区の大きな課題であった病院への足の確保が、「運転ボランティアによる通院車の運行」という形で実現。地域のボランティアが運転し、その経費の半額を市で負担するということで、平成4年5月1日、いよいよ運行がスタートした。
 不特定多数の人を乗車させる『友愛はらだ号』は、道路運送法への抵触も懸念されたが、原田地区が交通手段を確保できない山間地域であること、住民同士の完全なボランティアで『友愛はらだ号』は営利目的での運行でないことから、掛川市が全面的にフォローして運行の実現となった。(その都度利用者が支払う料金は、通院者運営委員会の地区負担金として徴収しているため営業行為ではないと判断)
 運行当日は運転ボランティアが『友愛はらだ号』の車庫がある原田学習センターへ行き、朝7時30分、各コースの出発地点へ。川沿いの道路を下りながら、途中利用者を乗せて利用者が通う病院へ向かい、料金は一律500円。運行ルートよりさらに奥に住む人が利用したい場合には、運営委員が事前に予約をして迎えに行くという方法が取られている。
 病院は市立病院を中心にさまざまだが、近い病院から利用者を下し、一番遠い病院が最後に。帰りは逆の順番になるため、利用者の中には待ち時間が長い場合もあるが、12時前には帰宅ができる。運行開始当初は、透析などで通院する人もいたため午後再び迎えに行くこともあった。
 運行開始以来、1日も休まず無事故で運行する『友愛はらだ号』は現在3代目。2代目は掛川市が150万円、地域で130万円を負担。3代目は掛川市が全額を負担して購入してくれた。
 初年度の平成4年度は175日運行し、のべ1319人が利用。翌平成5年度は1617人が利用したものの、平成15年度から利用者が減少傾向に。平成20年度には、運行日数は変わらないものの利用者が480名と減少している。これは介護福祉施設などができ、デイサービスや施設の利用者が増えたことなど時代の流れも原因の1つと考えられる。


人と人との触れ合いを大切にし、地域の繋がりを育てていきたい

 現在の運転ボランティアは23名。昼食代として1日1000円が支払われるのみ。4カ月に3回程度回ってくる運転当番をこなす運転手の職種も農業や自営業、会社員などさまざま。70歳を運転ボランティアの交替の年齢とし、中には運行開始当初から続けてくれている人もいる。病院からの伝言を家族へ伝えるなど、まさに地域全体で高齢者を見守っている。
 運転ボランティアによれば『友愛はらだ号』は単に高齢者を病院へ運ぶだけではなく、地域の人々の交流の場にもなっているそう。車内では野菜作りの話やお孫さんの話などいろいろな話題が飛び交い、その安堵感からか少しの間でも身体の痛みを忘れるほど会話が弾む。中には通院の日にちをお友だち同士で合わせて通院車で待ち合わせをして会話を楽しんだり、自宅で採れた野菜の交換などが行なわれることもあるのだ。
 当初は病院への足で始められた『友愛はらだ号』。利用者が減少しているものの、過疎化が進む地域の高齢者にとっての交流の場としても貴重な存在になっているのは間違いない。
 利用者にとって病院への大切な足となり、また交流の場となっている『友愛はらだ号』。運転ボランティアも、利用者から「本当に助かるよ」「ありがとう」と声を掛けてもらうことで心が温まる。
 利用者やボランティアの減少などの問題は抱えているのも事実。けれども通院車運営委員会の初代会長の熱い想いと、長く閉塞感が続く現代社会、こんな時代だからこそ人と人との触れ合いを大切にしなければ、地域の繋がりを育てていきたい……そんな思いを乗せて走る『友愛はらだ号』。過疎化という地域の問題をみんなで考え実践する原田地区の取り組みは、これからの日本に必要とされる住民主体の福祉活動であると言えるだろう。