「まち むら」117号掲載
ル ポ

郷土料理でふるさとの復興を支える
岩手県釜石市 NPO法人ねおす+郷土料理を楽しむ会
被災したふるさとの復興支援に乗り出す

 プレハブの建物が並んだ岩手県釜石市の栗林第2設住宅団地に、若者の出入りが絶えない1軒がある。東日本大震災直後から復興支援活動を続けているNPO法人ねおすの宿泊所だ。スタッフの柏崎未来さんは、仮設住宅の集会所で開く食事会の準備に追われていた。
 北海道に本部をおくねおすは、自然体験に基づく環境教育や、都市農村交流を核にしたまちづくりなどに取り組んでいる。東日本大震災後は、いち早く柏崎さんのふるさと釜石市に駆けつけ、緊急支援活動に乗り出した。
 釜石市出身の柏崎さんは北海道の大学を卒業後、ねおすに就職。子どもから大人までを対象にした自然体験事業を担当して丸3年が過ぎ、震災当日もキャンプを指導する予定だった。理事長の高木晴光さんはそのキャンプの中止を決断すると、翌12日には柏崎さんとともに車に食料や燃料、テントや寝袋などを積み込み、13日の夕方まで走り続けて釜石市に到着した。内陸部の栗橋地区には、被災した多くの市民が避難し、避難所が開設されている。実家の様子を見に沿岸部に車を進めると、ふるさとは瓦礫の山に変わっていた。
「実家の1階はなくなり、2階は30メートルほど離れたところに流されていました。取り出せたものはパソコンや写真とわずかな荷物だけ。釜石を離れていて無事だった両親、2人の妹と栗橋地区のおばの実家に避難し、1か月ほどは親族20人以上で暮らしていました」
 柏崎さんは被災したふるさとに戻ったこの日から、自ら被災者でありながら、被災者を支援する活動に身を投じる。


震災で得た新しい宝物

 北海道から3人で釜石に入ったねおすは、柏崎さんのおばの実家の庭にテントを張って活動を開始した。札幌の本部は交代でスタッフを派遣し、全国から募集したボランティアを送り込んで柏崎さんたちの活動をサポートした。
 昨年5月、ねおすの活動拠点は、栗林児童館から基幹集落センターを経て、橋野へき地保育所に落ち着いた。栗橋地区のなかでも高齢化と過疎化が進む山間の橋野町では、閉園となった保育所を解放し、一日中瓦礫の撤去作業などに汗を流すスタッフやボランティアにお風呂を提供したり、自家製の野菜や手料理を差し入れるなどの支援を続けている。
 復旧の状況に応じて、ねおすの活動の中心は、避難所の運営など緊急救援から、瓦礫の撤去や沿岸部の漁業の復興支援に移る。そのなかで、地域経済の再生をめざす「ボランティアツーリズム」にも力を入れてきた。とくに養殖わかめの生産再開には、100人以上のボランティアが2万個もの土嚢をつくって養殖縄の設置にこぎつけた。わかめは順調に生育し、この春に収穫を迎える。
 千年に一度の災害復旧にマニュアルはない。柏崎さんは、悩みながら走り続けてきた日々を振り返ってこう語る。
「震災でたくさんのものを失いましたが、得たものもたくさんあります。私にはここに来てくれるたくさんの人たち、そして釜石のおかあさんたちとのつながりという、新しい宝物ができました」


おかあさんたちとの出会い

 柏崎さんのいう「おかあさんたち」とは、「郷土料理を楽しむ会」で活動する海のおかあさんと山のおかあさん。沿岸部に住む海のおかあさんのなかには、自宅を流され、家族も失った人もいる。直接の被災を免れたとはいえ、内陸部の山のおかあさんの多くも沿岸部に住む肉親や知人を失い、家を流された親戚を受け入れ、被災者の支援に奔走した。
 震災の夜、山のおかあさんのひとり、藤原政子さんは、ガソリンが尽きるまで避難所と自宅を往復して物資を運んだ。床に就いた午前2時、全身ずぶねれの男性2人が玄関に立っていた。
「朝までに避難所におにぎり500人分を届けてほしいと頭を下げるんです。すぐに地域の女性を集会所に集め、懐中電灯の光を頼りにおにぎりを完成させ、その後も炊き出しを続けました」
 沿岸部の職場で被災した夫と娘に再会したのはおよそ1か月後。安否が確認できなかった数日間は、マスクで涙を隠しながら炊き出しを続けた。避難所にいた離乳期の子どもには、1か月間、1日3食、手づくりの離乳食を運び続けた。
 郷土料理を楽しむ会として、あるいは個人で、食による支援を続ける郷土料理を楽しむ会のメンバーと出会うことで、ねおすは食に関わる効果的な支援が展開できるようになった。
 たとえば、ねおすが避難所の高齢者を橋野町の集会所に送迎し、郷土料理を楽しむ会がつくったあたたかい昼食を提供する。また、活動拠点を失った郷土料理を楽しむ会が震災前から計画していた食のイベント「山のカフェ」は、ねおすの協力によって実現した。


仮設住宅団地にコミュニティ・レストランを

 こうした協働活動の積み重ねを経て、柏崎さんは郷土料理を楽しむ会とともに行う新しい活動を立案する。仮設住宅の入居者が新しいコミュニティをつくるための「コミュニティ・レストラン」だ。
「仮設住宅では、家族をなくした悲しみで食べる気がしないという人や、台所が狭くて料理する気にならないという人が多く、心身の健康を維持するために欠かせない食が課題になっています。入居者の居場所づくりも急務です」
 郷土料理の共食へのニーズは高く、昨年11月、郷土料理を楽しむ会が仮設住宅団地で食事会を開くと集会所は満杯になった。その後、どんな活動が求められているのかを把握するため、柏崎さんと藤原さんは一軒ずつ聞き取り調査をして歩いた。
 そのなかに、震災で息子を亡くした80代の女性がいた。藤原さんはこの女性に見覚えがあった。食事会の料理をほとんど残したからだ。料理が口に合わなかったのだろうか。ずっと気になっていた藤原さんに、この女性が理由を語った。
「消防団員だったおばあさんの息子さんは、防波堤の水門を閉めるために海に向かい、そのまま帰って来なかったんだそうです。息子さんが好きだった郷土料理を食べさせたくて、仏壇にあげるために、食べずに持ち帰ったんだそうです」
 うれしいときも、悲しいときも、食べる人の健康を養い、心を癒すために、釜石の女性たちが心を込め、知恵と技術を駆使して生み出し、受け継いできた郷土料理の力を、藤原さんは実感した。そして、この聞き取り調査の結果を受けて、柏崎さんの構想はさらにふくらんだ。
「食事会だけでなく、季節の行事ごとにイベントを企画したり、子どもの料理教室を開いたり、お弁当の配食にも活動を広げていきたいですね」
 釜石の人たちが生み、守り続けてけた郷土料理は、釜石の復興を支える力になることだろう。