「まち むら」119号掲載
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ほたるがつなぐ人々の想い、熱意、笑顔
群馬県渋川市 宮田ほたるの里を守る会
 少子高齢化や地域共同体における家族のあり方の変化によって、日本では“人と地域の関わり方”がずいぶん希薄化してしまったように思う。その昔は当たり前だった“人”と“地域”の関わりに、何らかの「理由」が必要になったのは、いつ頃なのだろうか。今は、多くの地域でそうした理由を模索している状況だが、そこには人々の熱意と、その熱意を原動力とした事業の推進力、継続する力、そして何よりも感動と笑顔が必要だ。


子どもの頃の情景を求めて平成8年に会を発足

 自然豊かな赤城山の裾野に広がるのどかな農業地帯、群馬県渋川市赤城町にある宮田地区に、強固な熱意を持って地域づくりを行っている事例がある。「宮田ほたるの里を守る会」がそれだ。同会は、発足した平成8年から足かけ16年、ひたすらに“ほたる”を通じて地域づくりを続け、現在では会員数118名(平成24年4月1日現在)、同地区には県内外からシーズンを通して延べ1万人程度が「ほたるの観賞」に訪れるという。観光地ではない小さな町のひと地区に、である。どのような活動をしているのか、発足の経緯も含めて会長の星野次夫さんに伺った。
「宮田ほたるの里を守る会は、宮田地区生涯学習役員と周辺住民の数名でスタートしました。当初から地域づくり・人づくりの一環としてほたる保護を目的としましたが、きっかけは簡単なもので“自分たちが子どもの頃は普通に飛んでいたほたるを、もう一度、宮田に甦らせよう”ということでした」
 赤城町宮田地区は昭和40年代から農業用地の土地改良や基盤整備が進み、農業用水路や小川のコンクリート化、生産性向上のための過剰な農薬散布によって里山や水辺の生物が激減したという。ほたるも例外ではなく、同会の発足当時は数匹が確認できるのみだった。会の発起人たちは、高尚な理念を掲げたわけではなく、幼い頃の情景を頼りに、再びほたるが乱舞する宮田地区に想いを馳せたのだという。ただし、この後の推進力が同会の真骨頂である。


決して順風満帆ではない会の歴史

「素人ですから、ほたるを増やすといっても何をすればいいのか、全く分かりません。だから、一からすべて勉強したんです」
 ほたるは何を餌としているのか、それを増やすにはどうすればよいのか。ほたるは幼虫から成虫になるまでにどのように変化をするのか、どのような環境が必要か。会員同士で勉強会を開き、ほたるで地域づくりをしている場所に出かけて教えてもらうなど、すべてを手探りで始めた同会。やがて得た知識を元に、ほたるの幼虫が餌とするカワニナなどの水生生物が棲めるよう、荒れていた水路を整備することからはじめ、ほたる生息地の周辺農家とは無農薬、減農薬で農業を行ってもらえるように折衝を開始した。
「農家の方々の理解を得るのは苦労しました。なにせ、生活がかかったことですから。また当初は地区の住民の反応も冷たかったですね(笑)」と振り返るのは、事務局長の星野信好さん。だが、会の発足から3年後には子ども会員の募集を開始、5年後には「ほたる祭」を開催し、地域の理解を得ると共に会員数も増加していったという。
「人づくりという観点からも、子ども会員の入会を積極的に進めました。子どもが興味を持ってくれれば親も会員になってくれる。何より、子どもたちがいつか宮田を離れても、宮田のほたるの思い出が心に残ってくれれば嬉しいし、実際に宮田で育った子どもたちが親になって、今では子どもを連れてほたるを見に来てくれるんです。この活動をやっていてよかったなと、本当に思います」(星野信好さん)


笑顔と仲間意識が支える多忙なボランティア作業

 現在、「宮田ほたるの里を守る会」の活動は多忙だ。春にはほたるの生殖地やカワニナ養殖場の下刈りや清掃を行い、水路の整備や道路からクルマのヘッドライトが入らないように遮光ネットを取り付ける。ほたるが飛び始める時期にはテントを設けて、ほたるを見に来た人に生態を説明するパネル展示を行い、ガイドや夜間のパトロールまで行う。そしてシーズン終了後の秋には、また来年に向けてほたるの生殖地や水路の整備を行うのだ。もちろん、これらは同会の会員がボランティアで行っている。
「シーズン中は毎日大変ですよ! 多い人は80〜90日間、19時30分から22時ぐらいまでボランティア活動をしています。でもね、そこには“見に来てくれる人がいる”という感動がある。そして、来てくれた人たちの笑顔を見ると本当に嬉しいんですよ。これが一番大きなやりがいです」と会長の星野次夫さんが語れば、「宮田のほたるは、もちろん自然に繁殖したものです。養殖をして時期が来たら放すというものではありません。管理や準備には手間もかかるし大変です。でも、だからこそ会員同士には活動を通じて“同じ釜の飯を食べてる仲間”っていう一体感がある。それがね、楽しいんですよ」と広報担当の角田尚士さんも笑顔で話す。


広がり始めた会の活動と受け継がれる想い

 かつて「自分たちの子どもの頃の情景を甦らせよう」と歩み始めた同会は今、熱い“芯”を残したまま多角的な展開を始めている。環境学習として、子どもたちに自然や生物への理解を深めてもらおうと「水中生物体験学習会」を開催したり、小学校や中学校の総合学習で自然や農業を守ることが環境や日本の四季を守ることにつながると説くのも、近年の同会の重要な活動だ。県内他エリアの高校生と環境を通じて交流したり、県内外の自治体に環境づくり、人づくりで交流・指導する機会も増えた。海外農業研修生やホームステイ、市の英語学習指導助手(ALT)など、外国人との国際交流も視野に入れて通訳ができる会員も確保。さらに、耳の不自由な人のために手話ができる人材までいるという。
「宮田ほたるの里を守る会では、16年間でさまざまな“つながり”ができました。そしてそれは、ほたるがつなげてくれているんです」という星野会長の言葉には実感がある。机上で論じるのではない、体を動かし汗をかいて実践してきた人の言葉だ。
 “地域づくり”とは人と地域のつながりそのものだ。時代の変化に伴って希薄化した“人”と“地域”のつながりを回復させることは簡単なことではない。一歩引いている人を巻き込むには、推進する人の熱意と汗が必要不可欠である。そして最も大切なことは、熱意と汗が感動や笑顔に昇華されていることなのだ。関わっていて本当に楽しい――今回お話を伺った宮田ほたるの里を守る会の皆さんからは、言外にこうした想いが溢れ出ていたのが印象的だ。
 最後に同会が発行している会報『ホタルの里だより』(2010年11月Vol.3)より、赤城中学2年生(当時)のコメントを抜粋したい。「僕は毎年ほたる祭り、水中生物体験学習会、ホタル保護キャンペーンに参加しています。(省略)一人一人が水を汚さない努力をして宮田ホタルがいつまでも飛んでほしいと思います。これからも僕はホタルの里の行事に積極的に参加をしてホタルがいつまでも見られるように頑張りたいと思います」。頼もしいではないか。たった数匹から始まった宮田のほたるの再生が歳月を経て500〜600匹にまで増えたように、同会の想いもちゃんと世代を超えて芽吹いているのである。