「まち むら」125号掲載
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「ふれあい生き生きサロン」中心にまちの問題考える
愛知県幸田町 幸田町生活学校
消費者目線でこつこつ解決

 愛知県中南部に位置し、西三河地方で唯一の町である、額田郡幸田町。人口は3万9172人(平成25年12月31日現在)で、国内大手の工業メーカーの工場が立ち並ぶ。一方で、この地域でしか育たない珍しい柿「筆柿」や温室栽培のモモなど、特色のある農産物もあり、農工のバランスが取れたまちだ。自然豊かな町内で活動する「幸田町生活学校」は、まちの中心にある町役場から約1キロの「芦谷公民館」で開いている「ふれあい生き生きサロン」など、多彩な活動を展開している。
 町に依頼された8人の発起人が中心となって、32人の生活学校生で平成2年にスタート。生活学校生が初めて課題として取り上げたのは、ごみ集積所だった。
「当時は、ごみを出すときに誰も分別せず、回収する人もそのまま持って行ってしまっていたわ」と振り返るのは、発起人の一人で前運営委員長の桑門澪子さん。桑門さんらはこの現状を町に報告。しかし「今すぐ改善する必要はない」と問題にされなかった。平成の初め、まだごみ問題は深刻化していなかった。
 そこで桑門さんらは、集積所のごみを自分たちで分別することにした。町保健センター前で、集まったごみを手作業で分けた。こつこつと続けていくうちに、ごみ出しに訪れた人たちも手伝ってくれるようになり、徐々に町内で分別収集が広まった。当時の生活学校生は「私たちの活動はいいテストケースになりました」と言う。その後も、消費者の目線から問題を見つけると、改善に向けこつこつと取り組んでいった。
 町民に、ごみに関する講演会を聞いてもらおうと平成4年に始めたチャリティーコンサートは、収益金の一部を近隣の児童福祉施設に寄付。町民が自由に参加できる消費生活講座では、近年話題になっている事柄を中心に講座内容を選んでいる。送りつけなどの悪徳商法や振り込め詐欺といった詐欺の被害に遭わないよう、インターネット通販の仕組みやサプリメントに関する基礎知識を学び、成年後見人制度には、町社会福祉協議会顧問の弁護士、相続税と贈与税については税理士を講師に招いた。

きっかけは聞き取り調査

 生活学校生たちが高齢者の福祉に興味を持ったのは開校から2年ほど経ったころ。そのころから各地の福祉施設を見学したり、在宅ヘルパーについて学んだりした。平成5年には町内で福祉に関するアンケート調査を行な」い、回答者の約6割が、現状と同じ生活を送るのが理想の老後と答えていた。
 平成9年には、町内の独居老人を訪ね、聞き取り調査をした。幸田町は駅近辺を中心に今も都市開発が進められ、人口が右肩上がりに増えている。町内の企業に勤める若者が地方の親を幸田町に呼び寄せたり、子育てを終えた人が幸田町に移り住んできたりしているからだ。
 平成9年当時、町内の独居老人は99人だった。老人宅を訪ねると、生活学校生たちは温かい歓迎を受けた。中には家の中に招いて茶を振る舞ったり、自身の家族や趣味について3時間近く語ったり、「寂しいから、一緒に暮らしてくれる人を探してくれないか」と頼んだりする人もいた。これらのことから、生活学校生たちは「独居のお年寄りは、家族がいない分身軽で自由。でも自由と引き換えに孤独になってしまった」と考えた。
 これを踏まえて同年10月、「ふれあい生き生きサロン」がスタートした。お茶とお菓子をいただきながら、折り紙やゲームなど、その時々に合わせた活動をする。サロンを利用するお年寄りから集めた参加費200円でお茶やお菓子、材料費などをまかなっている。
「サービスはタダ(無料)では受けられません、と分かってもらえるようにこういう形にしました。有償ボランティアと同じです」と狙いを話す。一方で、利用者のほとんどは女性であるため、「お茶菓子や内容はとても緊張感を持って選んでいます。相手は私たちよりも主婦の先輩ですからね、見合ったものかどうかは見抜かれてしまいます」と真剣だ。
 サロンの講師は生活学校生自身や学校生の知り合いが務めるが、利用者の女性がしめ縄づくりを教え、見事な縄ないの技術を披露したこともあった。

自主性生まれ 被災地支援も

 お年寄りの自主性に任せた活動も支えている。東日本大震災の直後は、サロン利用者の有志が「東北の寒い冬をしのげるようにプレゼントしよう」と、得意の編み物でマフラーなどの防寒具を作った。同じように編み物ができる利用者は防寒具作りに励み、できない人も手紙を書いて被災地を応援した。
 ハンドベルの演奏を楽しむ人たちには、長年続けることで自主性が生まれた。初めは恥ずかしがっていた参加者たちも人前で演奏する楽しみを知り、「慰問演奏会をしたい」という意見も出てきた。生活学校は、町内の高齢者福祉施設などへ慰問をかけ合った。、お年寄りたちの移動手段は、タクシーや会員の車だという。演奏会では、生き生きとしたハンドベルを披露した。このことから、サロン利用者の「やりたい」を手伝うという重要性を学んだ。サロン開設から15年が経ったが今もこの考えは変わっていない。

何気ない会話が生きがいに

 1月17日の生き生きサロンを訪ねた。この日はちぎり絵で干支の午(馬)を作っていた。利用者は元生活学校生で、全国和紙ちぎり絵サークルの講師、金子昭子さんの指導で、色紙に和紙を貼り付けていった。耳や手綱などの色を選ぶときに、たくさんの和紙に向ける眼差しは真剣そのもの。絵が完成すると、「それぞれ違うわ」「目がつぶらでかわいいね」と見せ合いながら楽しげに話していた。
 ちぎり絵のあとはお楽しみの喫茶時間。この日は生活学校生が作った、三河地方でひなまつりの時期に食べられる菓子「いがまんじゅう」を味わった。まんじゅうを頬張りながら、「昔はみんな、自分の家で作ったわ」「あんこを包むとき、お餅が熱いんだよね」「私の地域にはなかった」と懐かしんでいた。こういった何気ない会話が、利用者たちの生きがいにつながっていくのだろう。
 山ア寿子運営委員長は「町内の男性や老人クラブの皆さん、子どもたちなども参加してもらえるよう間口を広げ、関心を持ってもらえるサロンでありたいですね」と話していた。