「まち むら」129号掲載
ル ポ

福島県の自閉症の子どもたちと家族を宇部から支援し続ける
山口県宇部市 福島の子どもたちとつながる宇部の会
福島と宇部をつないだのはチェルノブイリだった

 2011年3月11日、東日本大震災が発生し、福島県では福島第一原子力発電所事故が起こった。その時、福島県から遠く離れた山口県宇部市で、被災地の自閉症の子どもたちを心配する人がいた。30年以上自閉症の人たちを支援してきた木下文雄さんだ。新聞では、慣れない環境でパニックを起こすため、避難所に入れず車の中で生活をする自閉症の子どもの記事が出ていた。いてもたってもいられず、すぐ友人たちに連絡を取った。
 その友人たちとは、チェルノブイリでつながった仲間だった。1986年4月26日、ソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で事故が起こった。原発事故の放射能汚染に苦しむ人々に対して何かできないかと思う宇部市の人々が、1994年「ドゥルージバ」の活動を始めた。「ドゥルージバ」とは、ウクライナ語で「友情」という意味。ウクライナの子どもたちを招いて、保養と交流を行い、薬品を送った。この活動は2007年まで続いた。
 「ドゥルージバ」の仲間たちは、福島第一原発事故を知った瞬間、チェルノブイリの事故がよみがえった。木下さんから連絡を受けた人々はすぐ動き、知り合いに連絡を回した。そうして集まった人たちで、震災から2週間経たない3月24日に会設立のための第1回準備会が開かれた。そして、「福島の子どもたちとつながる宇部の会」は4月6日に設立され、代表木下さん、副代表橋本嘉美さん、事務局長武永佳子さんで活動が始まった。2013年からは、橋本嘉美さんが代表を担っている。

「とにかく助けて!」という切実な手紙

 最初は、福島県の自閉症の子どもたちと家族に宇部へ移住してもらうことが目的だった。しかし、自閉症の子どもの家族からの「住み慣れた地元を離れたくない。知らない土地に移住するのは難しい」という声を聞き、まずは保養を兼ねて宇部に来てもらおうと考えた。
 宇部市は震災後、東日本大震災復興支援協働プロジェクトチーム「復興支援うべ」を設立し、“夢プロジェクト”「がんばっぺ!」の事業が始まった。実は、宇部市は、2011年1月に福島県いわき市と姉妹都市になったばかりだった。「がんばっぺ!」には、AとBがあり、Aは「健常児」を対象とした事業、Bは「自閉症児と家族」を対象とした事業で、これを会が請けて2011年7月31日から8月7日まで福島県内の自閉症の子どもたちと家族の保養をスタートさせた。
 受け入れる家族は、最初は4家族ぐらいと思っていたが、6家族が申し込んだ。これで締め切りと思っていたところに1通の手紙が来た。「とにかく助けて!」という切実なものだった。結局、小1から中1まで7人の自閉症の子どもたちと家族(7家族21人)が宇部へやって来た。
 計画は、きめ細かに立てた。ボランティアも100人以上いた。子どもたちは自然の中でのびのびと遊び、親はその間リラックスできた。2012年からは親子とも健康診断を取り入れ、お母さんたちはカウンセリングやマッサージで心身を癒した。
 初めての受け入れの最後の日、離れがたい「お別れ会」には久保田后子宇部市長も参加した。その時、家族から「教育の受け入れ態勢があれば宇部に住みたい」という声が上がった。その場で市長は「私にまかせて!」と断言した。この言葉が移住へと家族たちの背中を大きく押した。2家族が移住を希望し、10月に転入。もう1家族が12月に転入した。
 移住にも、きめ細かくサポートをした。被災者は、雇用促進住宅に無料で入れるのだが、どうしても犬と一緒にいたいと言う子どものために別の住居を捜した。会からも、わずかながらも支援金を渡し、バラバラに住む家族たちのために、親睦旅行、新年会やクリスマス会、などを開催した。昨年11月に1家族が福島に帰ったが、今も2家族が宇部市で暮らしている。

弱い立場の人を助けたい

 2012年3月の春休みだけは、「がんばっぺ!」AとBの両方37人を引き受けた。2012年の夏休みには5家族16人(自閉症児5人)、2013年は4家族15人(自閉症児4人)、2014年は3家族14人(自閉症児3人)を受け入れてきた。
 2013年に参加したお母さんは、宇部で健康診断を受けて甲状腺異常が見つかり、手術を受けた。2014年には、3歳の幼児が健康診断で甲状腺異常が発覚した。攻撃的な言葉を発していた子どもは、宇部での保養後落ち着いて暮らしている。「障がいのあるなしに関わらず、自分を支えてくれる人がいるということは大きな安心感につながるんですね」と武永さんは話した。
 実は、橋本さんも武永さんもこれまで自閉症の人との関わりはなかった。被災して困っている人、弱い立場にある人を助けたい一心での活動だった。そこで、家族が来る前に会員で勉強会を開き、自閉症の子どもたちへの対応を学んだ。また、ボランティアで参加する人たちにも、必ず研修を受けてもらっている。
 現在会員数は、110名(会員46名、サポーター64名)。会員は減ってはいないが、例会に出席する人がだんだん減ってきている。震災2年目ごろから、ボランティアの数も減ってきている。橋本さんは「福島の自閉症の子どもたちを支援する会は他にないので今後も続けていきたい」と力をこめた。武永さんも「体力が続く限り頑張りたい」と話した。
 こういう中で、心強い助っ人がいる。大学生のボランティアグループ「すたんどあっぷ」だ。子どもたちと一緒に思いっきり体を動かしサポートをしてくれる。福島から一緒にやって来た兄弟の中には、最初自分の立ち位置がわからず戸惑う子どももいる。実は、がまんすることが多いのは彼らも一緒なのだ。兄弟にもボランティアの学生をつけると、はじけるような笑顔を見せてくれるようになった。

つながりを大切に、エールを送り続ける

 「福島の子どもたちとつながる宇部の会」は、これまでの活動が評価され、2014年11月に「あしたのまち・くらしづくり活動賞」の振興奨励賞を受賞した。橋本さんは「受賞もうれしいですが、人と人のつながりがうれしいですね。親戚が増えたような気がするんです。昨年の夏、福島県に行って家族と再会してきました。子どもさんの成長を見ると本当にうれしいです」と目を細める。「震災や原発事故は悲しい出来事ですが、それがなければ会うことはなかった人たち。そのつながりはずっと大切にしていきたいですね」
 被災地の人々は「忘れられるのが一番怖い」という。この活動を続けることは、「みんなのことを忘れていないよ!」「心はいつも一緒だよ!」という力強いエールになっている。