「まち むら」72号掲載
ル ポ

棚田を生かしたむらづくり
鹿児島県栗野町 幸田地区
 農林水産省の「棚田百選」に選ばれ、「活力のあるまちづくり自治大臣表彰」も受けた鹿児島県栗野町幸田地区は、農村の特色である「景観的特色」と「社会的特色」が温故知新の気風の中で現代に生きている「むら」である。幸田地区は鹿児島県北部に位置し国見岳の山麓にある人口876、287戸の村落共同体の良さが継承されている農村である。
 江戸中期、先覚者の提唱に住民が呼応し心を一つにして武者返し的工法で瓦石積みの棚田を作った。石清水の渓流を水田に引き代々米作りに専念してきた。森から湧く水は稲に必要な微量要素を含み、昼夜の温度差、太陽の恵み、清澄な空気などの良好な生育環境は、耕す人の愛情と栽培技術が渾然融合し良質美味・幸田米の名をほしいままにしてきた。
 しかしわが国農業が選択的拡大から企業的経営へと深化していく過程と農業をとりまく内圧外圧、物中心の思考がもたらした自己中心の価値観の多様化、省力機械化の利便性の追求、生活の都市化、加えて労働力の流出、高齢化などの諸条件から貴重な遺産が埋没するのではないかと案じられるようになった。
 危機的様相を呈していたのだが、受け継いだ「農の心」は脈々と生きていた。伝統を誇りとした地区民の熱い思いと町当局、商工会、観光特産協会、JA、地区自治会・公民館は、逆境を展望あるものにする起死回生の方策の樹立に努めた。まさに逆転の発想にもとづく適時性の対応だった。時、恰も、食と農、日本型食生活の体系、体験知の重要性からの農業体験、自然との共生による人間復興が強調されるようになったときであった。共通理念(スローガン)の「良質・美味米の名声を現代に甦らせよう」は全住民の心をとらえた。


産直交流の確かな筋道

 町当局の産直交流の施策は時宜を得たものと地区民に理解され積極的な取り組みとなった。県内近郊の都市に呼びかけ、生産収穫の直接体験で「日本人と米」を改めて自覚してもらおうとの趣旨に、驚くほどの賛意がよせられた。棚田10アールを産直交流田とし平成11年度15家族、平成12年度12家族が参加した。親と子の手植えの田植え作業、8月の草取り、10月中旬の稲刈り、10月下旬の脱穀、収穫作業に棚田生産組合の6農家の指導で協働の汗を流した。
 産直交流の事前研修で「体験活動には道徳的価値が内在している。とくに農業体験は生物に命があり自然の恵みと人間の力で結実し種族を保存し次の世代につないでいることへの再確認。加えて、農作業の協働の中では勤労愛、自然愛、生命尊重、友情、連帯共同、責任、根性、耐性、感謝などを体得できる。これらの意義を講釈や説教ではなく、共同し体を動かすことを通して、それぞれがそれぞれなりに自覚してもらうことが大切だ」と学び合った。また山村留学の里親の家と地域との共同生活体験は、家庭、地域の雰囲気のなかでふれあいを深められる。そのことを通して幸田地区の地域教育力を高めようと共通合意した。
 「幸田米の名声を現代に」という「理念(スローガン)」を掲げ、事前研修での相互学習は、確かな「理論」の裏付けとなり、産直田を軸にした具体的取り組みは、「方法」への展開、実践であり「理念→理論→方法」の筋道を示した地域づくりの証となっている。棚田米作りの消費者と農家との交流は地区全体の誇りとなって活性化への住民動向となった。


地域が支える山村留学

 注目されるのは幸田小学校(児童48人、教職員9人)が、閉鎖社会の学校でなく地域に開かれ地域の核となっていることである。ごく自然に「むらの学校」となっている。
 棚田を生かした地域活性化の農村環境整備も、地区自治公民館活動も、PTA活動も学校が分離独立しているのでなく、地域全体が学校をかかえ込み学校を核とした自然体の地域づくりが見られる。山村留学も地域全体のこととして全住民がとらえ支えている。
 平成10年には福岡県、沖縄県、枕崎市から3人、平成11年には沖縄県から3人、平成12年は大分県から1人を受け入れた。4月から翌年3月までの長期留学で公募した里親の家から通学している。幸田小の児童がいる里親の家だけに、家族の一員として「一家団欒」の雰囲気の中での生活を送っている。
 地域では特別視することなく、棚田の農作業や収穫祭にも参加させ、むら社会の中での異世代、異年齢の交流は「みんな顔なじみ」の気風を育て、あいさつ、声かけのふれあいは思いやりの情操を培っている。
 幸田小は地区住民みんなが自分たちの学校としているだけに、それが伝統の校風をつくり、いじめ、不登校もなく「みんな仲よくせいいっぱい」が大人にも子どもにも当たり前のこととしてとらえられている。教師たちも「お互いに良い刺激となり、学力の向上も見られ、何よりも協調協力の心が育っている」と評価している。
 また長期留学とともに夏休み2泊3日の短期留学も地区民の協力で毎年実施している。2年生から3年生までだが、毎年20人前後の参加がある。休耕田の「田んぼの鉄人」事業では、田に水を張り、泥んこドッヂボール、一枚板道路の自転車乗り、竹を3本束ねた狭い橋を渡る競技などと、農山村ならではの林間学校のカブト虫取り、竹細工作り、史跡めぐり、スイカ割り競技のプログラムに里親といっしょに楽しい時を過ごしている。


国際色もある棚田米づくり

 町内の立地企業に、中国から女性研修生20人、ブラジルからの2家族が働いている。企業側の理解を得た、合同の田植え作業、収穫作業の体験活動も特色といってよいものである。
 ハダシの田植えには若い中国女性も、山村留学の児童、里親、産直交流の家族、地区民といっしょになっての手植え参加である。作業後の「さのぼり=作上り、田植終了後の懇親会」や収穫の「豊年祝い」も親睦を深める場となっている。環境美化にも自発的なカントリィガーデンヘの動きもある。
 幸田地区の棚田米作りを柱にした広がりはその時、その時にむらづくりの要素である「相寄る心の場」をつくり地域の帰属意識を高め活性化の方向に進んでいる。それはまた「耕す文化」の創出である。21世紀のキーワードは「健康」「癒し」「食と農」「共生」「生きがい」の五つだといわれている。棚田の在る地域社会にこれらの要素が、展望ある可能性として温存され、農の魂として生きているのである。