「まち むら」75号掲載 |
ル ポ |
素案から創られた市民のまちづくりプラン |
東京都三鷹市 みたか市民プラン21会議 |
市民参加によるまちづくり案の策定が進んでいる。東京都調布市では、都市計画のマスタープランづくりが、市民参加によって行なわれたと本誌の前号で報告されたが、隣接する三鷹市では、まちづくり案のすべてが素案の段階から市民によってつくられた。それが「みたか市民プラン21会議」による「みたか市民プラン21」である。 三鷹市は都心と多摩の中間に位置する人口16万5千のまちだが、面積は16平方キロメートルと狭く、東西は6.3キロ、南北は5.2キロほどでしかない。市内には緑豊かな水辺をもつ玉川上水と野川があって、武蔵野の面影をいまに残す井の頭公園や野川公園もある。美術ギャラリー、アニメーション美術館、芸術文化センター、社会教育会館などの文化施設が充実。太宰治、山本有三、武者小路実篤、三木露風など文人のゆかりの地でもある。「住みたいまち」のひとつといわれているのが三鷹市である。 4つのキーワード 「みたか市民プラン21会議」は検討の過程の中で、現行の三鷹市基本構想の基調である「平和・人権・自治」を引き継ぐことを決め、さらに分科会での提言項目から「地球」「協働」「循環」「共生」といった4つのキーワードを抽出、それらを視点にした画期的な提回書をまとめあげた。 「地球」という視点では、地球環境の中での三鷹、国際社会での大成、将来に承継されていく三鷹として、地球規模で三鷹をとらえ、まちづくりをする必要がある、と提言している。環境での具体策として、環境マネージメントISO140001や環境会計の導入を提案する。「協働」という視点では、市民が責任を持って自治に参画し、行政は情報を公開、それを拠り所に市民と行政が協働し、自立性の高い地域社会をつくりだし、地方分権を確実なものにしていく、としている。具体的な提言として、市民参加を制度として確実なものにするため「自治基本条例」や「市民参加条例」の制定を提唱している。また評価制度を充実させ、市政の達成度を診断することを求め、チェックシートまで提示している。「循環」の視点では、地域内で経済を循環させる仕組みをつくり、限りある資源の有効利用を訴え、具体的手法として、福祉ファンド、地域通貨、福祉通貨などを提唱する。 「共生」の視点では、一人ひとりが、お互いを認め合いながら「共に生きる」まちを再生したいとし、両性間の共生、世代間の共生、人と車の共生などを重要課題として設定し、ノーマライゼイション(誰もが普通に暮らせる社会)やジェンダー(社会的性差)にまで言及している。また外国籍市民への自治体選挙権・公民権の付与なども提案している。 市民参加によって自治体は進化する 三鷹市の基本構想・基本計画に向けて提言を行う「みたか市民プラン21会議」が発足したのは、1999年10月である。市民21会議は事務局を庁舎に置き、市と「パートナーシップ協定」を結び、10のテーマに分けて分科会をつくった。そして1年間、延べ300回の討議を重ね、A4判138ページに及ぶ提言書をつくりあげたのだった。 提言の理念の高さもさることながら意見の異なる375人の市民が、分裂することなく提言をまとめたことは驚きであった。あわせて、とかく閉鎖的でありがちな行政が、情報を公開しながら、提言が出されるのを待ち続けたことも驚きだった。 私の取材に応じてくれたのは、ボランティアで事務局を担う市民21会議の事務局長、正満たづ子さんとキャリア10年、企両部企画経営室の大朝摂子さんである。大朝さんによれば、職員が一斉に動きはじめたのは、中間報告があってからになる。100名による職員が横割り組織を組んで、市民からの提言をもとに素案づくりの態勢に入った、という。最終の提言書を待っていたのでは、間に合わなくなるからである。そして2000年10月28日、市民によって最終の提言書がまとめられ、それが安田市長に手渡された。 この全体会に出席した市側のスタッフは皆、市民の熱意とパワーに圧倒された、と大朝さんはいう。まさに市民と自治体が一体となっての協働作業であった。今度は職員が「第三次三鷹市基本計画第一次素案」をつくり、それに市民21会議が意見書をつけて「第二次素案」がつくられた。これに再度、意見書を添え、最終の基本計画となる。 「第二次素案」によれば、自治基本条例や地域通貨も検討項目とされた。提案のかなりの部分が反映された、と正満さんはいった。そうだとすれば、市民によるまちづくり案がつくられたといっていい。また予定されていた三鷹駅前広場第二期工事も、環境問題等の観点から当初の計画案よりも3分の2に縮小されたというが、これも市民21会議をはじめとする市民の声を市が受けての計画変更だった。 さて、地域通貨のことだが、いくつもの分科会で出されたという。それだけ市民の強い関心があったということになる。正満さんによれば、第10分科会で地域通貨を提言した芸術家は、何年もかけて集めた海外からの情報を熱っぽく説明したという。それだけに説得力があったというのだ。一方、提言する市民たちは、自分たちの意見が確定的ではなくて、三鷹市の人口16万人分の375にしかすぎない、という認識を持っていた。大朝さんはその柔軟さに感動したという。 三鷹市の市民参加の歴史は古く、30年前からだ、と正満さんはいう。医師であった鈴木平三郎市長がドイツの地方自治を学び、住民協議会の設置を市民に提案し、それでできた住民協議会の意見を市政に反映させたというのである。三鷹市の市民参加は、一朝一タにできあがったものではなかった。そのような土壌が三鷹市にあったのである。正満さんも第二次基本計画に参加したひとりだった。ほぼ役割を終えた市民21会議のメンバーは、今後どうするのだろう。正満さんは、地域通貨や自治基本条例を研究しているグループは、市民21会議がなくなっても残っていくのではないか、と語っている。 市民による提言はまだまだ続きそうである。市民参加によって、自治体は進化する。 |