「まち むら」75号掲載
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ビオトープづくりで住民のきずなを深める
山口県岩国市 麻生田自治会
 麻生田地区は山口県東部の岩国市南岩国町にある。大型スーパーの出店、バイパス道路の整備など開発が進む新興地域のご月にありながら、豊かな縁を残している。麻生田自治会(130八世帯)は自然を生かし、1990年5月から本格的に、生物の生息空間であるビオトープづくりに取り組んでいる。世代を問わず、地域がきずなを深め合える場―。住民同士のふれあいが薄れる現代社会で、自治会員たちは「だれもが懐かしさにひたれる」自然空間を交流の場に選んだ。


人の輪も広がった

 夏休みが始まったばかりの午前6時半、ラジオ体操を終えた小学生6人が集まってきた。民家から少し離れた雑木林に、カブトムシ捕りに出かけるためだ。子どもたちを率いるのは、会社員の北村誠吾さん(45)。96年に家族4人で引っ越してきた。「麻生田には知り合いがだれもいなかったのですが、ビオトープを通じて人の輪も広がりました」。この日のカブトムシ捕りのメンバーに北村さんの子どもはいなかったが、同行した6人全員がすでに顔なじみだ。
「ほら、おじちゃん、いたよ」。樹液が漏れ出した斡には、立派な角をしたカブトムシなどが重なり合うように張り付いていた。下刈りされた山道を30分程度歩き回ると、真っ黒なヒラタクワガタなどを含む10匹余りが捕れた。「このなかの何匹かは私らが放したカブトムシかもしれませんよ」。そう言って虫かごを指差したのは自治会長の村本正義さん(67)だ。
 97年から、自宅裏の飼育小屋でカブトムシを繁殖。裏山などに放している。今年も約500百匹をふ化させた。その数が増えている証拠か、甲虫類をえさにする渡り鳥・カッコウも3年ほど前から飛来し始めたという。ほかにも、60歳以上の住民ら5、6人と協力し、ホタルの幼虫のえさとなるカワニナや、環境省がレッドデータブックで「絶滅危惧U類」に指定するメダカの増殖、放流にも取り組んできた。5、6月には、トノサマガエルをカラスから守るため、保護したこともある。


水質悪化が活動のきっかけ

 同地区でビオトープづくりの機運が高まったのは、水環境汚染がきっかけ。全世帯の約半数が井戸水で生活する同地区で、1997年夏に細菌が発生。水質が悪化した。地域を流れる麻生田川上流を調べると、自治会外の人が不法投棄したと思われるごみが散乱。産業廃棄物が捨てられていたこともあった。水を取り巻く環境は確実に悪くなっていた。水質改善のため、年5回のごみパトロール、13グループに分かれての清掃活動などを定期的に実施。さらに98年春、自治会全体でのビオトープづくりがスタートした。
 どんな生物も安心して住める水環境を目指し、地域を挙げて環境保全に取り組む。その1つの目安がビオトープだった。推進の中心は、自治会内に20人余りで立ち土げた「麻生田ビオトープ研究会」。村本さんは「自然のなかで生き物を捕って遊んだ子ども時代を懐かしく思うのか、積極的に関わる住民が増えたようです」と振り返る。家庭で使う合成洗剤を控えるなど、活動以外で自主的に、環境に気を配る家庭も出てきたという。


市から管理を条件に無償で遊水池を借り

 99年8月には、自治会が無償で清掃管理することなどを条件に、広大な雑草地たった遊水池約1700平方メートルを市から借り受け、新たなビオトープ空間創出に向けた試みがスタート。山と水田、小川に囲まれた中にあり、水たまりすらなかったが、自治会員の手で定期的に整備、手入れされ、今ではその真ん中付近に、浅い泥底の沼ができた。なかにはゲンゴロウやタガメ、ミズスマシ、メダ力など多様な生物が生息。「これって何て虫だろう」「珍しいね」。夏場には膝上まで水につかって歓声を上げる子どもたちの姿も見られた。
 その活動過程では苦労もあった。山や麻生田川で生き物を保護、増殖していた98年4月ごろ、何者かが川からカワニナを採寂し、ほば全滅。その年の夏はホタルがあまり現れなかった。その後の努力で数はもとに戻りつつあるが、ビオトープ管理の難しさを自治会は痛感した。
「せっかく育てたのに、一時はどうなることかと悲壮感もあった」と、世話役の住民たちは目をそろえる。
 この教訓から、自治会は今年夏、この地域全体がビオトープであることを示す木製看板(縦90センチ、横120センチ)を沼のそばに建てた。その絵には遊水池の裏山に生息するアカガエルが描かれており、道路からもよく見える。貴重な生物が麻生田におり、住民の手で保護、育成されていることを示すためだった。
 以前は「外部に知られると捕獲される恐れがある」と考え、秘密で活動してきた。しかしこの被害を機に、取り組み内容をすべてオープンにし、良心に訴えかけることで守ろうということになった。その成果があってか、それ以降は同様の被害は起きていない。
「ビオトープづくりを通じ、住民同士の距離は確実に縮まってきた。身近な自然空間は堅苫しさがなく、自由な気持ちで交流できるのでしょう」。同地区で生まれ育った高林千之さん(61)は言う。この活動は環境保全にとどまらず、自治会員同士の交流を深めるという、もう一つの重要な意味を持つようになってきた。他地域から引っ越してきた住民が約8割を占める同地区。70年代から水田が宅地へと徐々に姿を変え、人口が増え始めた。他の新興団地と同様、相互のふれあいが疎遠になるという悩みを抱え始めていた。
「日ごろから結びつきを強めておくことは大切。災害など非常時に、気心の知れた住民同士だと助け合えるはず」。村本さんは大阪市の会社を定年退職した95年3月、阪神淡路大震災の被災地で、ボランティアとして約一か月間、救援物資の管理などを担当。その後、郷里の岩国市に帰り、96年4月から自治会長になった。その際の経験で、住民間のきずなの大切さを認識したという。
 2か月に1回程度、遊水池のビオトープで開かれる「親子水辺の観察会」は、なかでも大切な交流の場の一つだ。毎回30人前後が集い、虫捕り網ですくった水生生物を水槽に入れて観察する。会社員の柳原智己さん(44)は「私たちも子ども時代はこうして遊んだものです」と、小学5年生の長女らとともに家族で参加。子ども同士はもちろん、見守る親と親の会話も弾む。
 自治会は今、こうした活動の様子を写真や文章にまとめ、次代に引き継いでいくことを計画している。99年度から取り始めた記録書(A4判)は3冊目となり、合計で100ページ近くになった。
「私ら年寄りにとっても、子どもと触れ合える場ができたことは生きがい。彼らが成長して麻生田を離れても、『帰りたい』と思ってもらえる地域にしたい」。新たな形のコミュニティづくりに、村本さんらは大きな夢を膨らませている。