「まち むら」79号掲載
ル ポ

おんちゃん、おばちゃんがつくった地域計画
高知県・高知市
「ほら!獲れたてやきね!」
「いらっしゃい!」
 ある晴れた日曜日。高知市横浜の灘漁港に、普段は見かけない白いテントがずらりと並んだ。早朝に出港した漁船が帰港し、地物の新鮮なカツオやサバを次々に水揚げする。「これゃあ新鮮なね!」と人々が見守る中、魚はその場でさばかれ、格安でどんどん売れていく。テントには地元野菜や他町村の特産品も並び、港内には活気と笑顔があふれる。
 平成14年5月、初めて開催された「よこせと海辺のにぎわい市」は、約4000人の市民が訪れるほど盛況だった。イベントの企画、実践部隊として中心的な役割を果たしたのは、専門的なノウハウを持った大組織ではない。約40人でつくる「横浜瀬戸コミュニティ計画推進市民会議」。ごく小さな住民組織だ。同会議の目的はまちづくり活動。といっても既存の町内会組織やどこかの団体の長の集まりではなく、「自分たちのまち」が大好きな近所のおんちゃん、おばちゃんで作っている。
 同市には同会議以外にも地区名を冠した「コミュニティ計画推進市民会議」と呼ばれる組織が18団体あり、各種のまちづくり活動に汗を流している。これらの組織を誕生させるバックボーンが、住民・行政協働による「コミュニティ計画」だった。


どう自治を構築するか

 高知市は高知県のほぼ中央に位置し、人口約32万7000。県人口の約40パーセントが集まる一極集中型の都市だ。同市がまちづくりの根幹に据えた「コミュニティ計画」は、こんなふうに位置づけられている。
<地域住民が土地利用や生活環境の保全・整備課題などを検討し、相互理解と住民自治に基づく人間性豊かな地域社会(コミュニティ)の形成を目指し策定する計画>(平成3年、「高知市総合計画」より)。
 一読しただけでは分かりづらいが、要するに▽施策の策定過程の一部を住民に委譲▽そうすることで「自治」の概念を浸透させ▽人間性豊かな地域社会を作る――と解釈できる。
 陳情などで寄せられる市民の要望に対し、行政はそのすべてを実現することはできない。しかし、それが原因で両者が「対立関係」に陥ることもある。加えて当時は都市化によって市民同士の関係が希簿化していた。町内会組織の高齢化も手伝って「地域の連帯感」が失われつつあった。
 それらにどう対処し、どう「自治」を構築するか。次世紀を見据えたまちづくりを考え抜いた末、市は「コミュニティ計画」という発想に行きついた。「『市民と市民』『市民と行政』『市民と地域』の三つの関係を見直す住民自治のあり方を考えた結果でした」木村重來・市民生活部長は、当時をそう振り返る。
 平成5年度、「コミュニティ計画」策定のため、各地域での住民組織づくりが始まった。多くの立場や世代の人に参加してもらえるよう全戸にチラシを配布し、広報誌やマスコミを通じてメンバーを募った。その結果、おおむね小学校区を単位とする25の「コミュニティ計画策定市民会議」が発足した。
 同市は計画策定段階で住民をサポートする「まちづくりパートナー」を、係長以下の市職員を対象に募集。集まった106人は半年間の研修を経て、居住地域の住民の一人として市民と行政のパイプ役を務めた。また住民の参考資料にしてもらおうと、行政側の視点で各地域ごとに道路・公園・環境など各分野の現況や課題、将来像をまとめた「地区整備計画」「地区カルテ」をまとめた。


各地域で計画完成

 各地域に発足した「策定市民会議」は、地区整備計画などをたたき台に議論を重ねた。その中に「横浜瀬戸コミュニティ計画推進会議」の前身、「横浜瀬戸コミュニティ計画策定市民会議」もあった。
 同会議のメンバーは、地域の個性や課題を再認識するため地域内の「街角ウォッチング」を実施する。加えてメンバー以外の意見も反映させようと全戸にアンケート調査を行った。地域とのかかわりが深い学校や企業などにも協力を求めた。
 集まった意見を参考に、メンバーは「インフラ整備」「環境保全」「地域コミュニティの醸成」について課題や目標を検討。各事業の主体を「住民主導」「行政主導」「協働」に分類し、事業ごとの達成期間を5年、10年、15年とする計画案をまとめ上げた。
 計画案は市に提案され、実現可能性などを担当各課や部長級職員で構成する策定員会で検討。その結果を地域集会にフィードバックして確定する。
 「横浜瀬戸」以外も同様の道筋で進んだ。平成8〜10年度にかけ、市内の25地区でコミュニティ計画が完成した。
 コミュニティ計画の完成で策定市民会議の役割は終わる。しかしメンバーからは「せっかく組織としてまとまったのに」「できた計画を実践する組織が必要」の声が上がり、25のうち19の「策定市民会議」が「推進市民会議」となった。


市民が先に汗を流す

 横浜瀬戸コミュニティ計画推進市民会議も8年9月に新しいスタートを切った。同会議の坂本導彦副代表は「最初から決めていたのは『行政には陳情しない』ということ。行政だけにやらせるんじゃなくて、主体的な市民活動をしていきたいと思っていました」と振り返る。
 同会議は地域の山に手作りのベンチや道しるべを据え、ハイキングコースを整備。各町内会や老人クラブに呼びかけ、複数の花いっぱい会を結成した。
 これらの活動の共通点は、行政より市民が率先して汗を流していること。坂本副代表は「行政は敵ではないし、こびを売る相手でもない。市民が先に汗を流せば、行政は後から付いて来ざるを得ない。例えば『これはもう地元でやる気、予算だけ取ってや』と気軽に言えるようになる」と自信を見せる。
 ほかの18推進市民会議も、地域の史跡に関する案内板・マップの製作、通学路の安全診断、ホタルの里づくりなど、地域の特性に合わせた活動を続けている。平成元年10月には各推進市民会議の若手が集まって「まちづくり未来塾」を結成。毎月の定例会ではお互いの地域活動を紹介して刺激を与え合ったり、活動に役立つさまざまな勉強会も行っている。
 市民主導とはいえ、一方では「一部の人だけのまちづくり」「住民のコンセンサスを得るにはもっと時間が必要だ」との声もある。これに対し、木村部長は「まちづくりは市民すべてが参加できるのが条件。そのために現在、まちづくり活動に対する支援も含めた『まちづくり条例』を策定中です。活動の裾野がどんどん広がるよう行政の方からも働きかけていきます」と話す。
 一地方の小さな試みが、自治のあり方を見直す大きな一歩となることを期待したい。