「まち むら」82号掲載
ル ポ

廃校を蘇らせ体験研修の場として活用する
福島県・霊出町 りょうぜん里山がっこう
 東京駅から東北新幹線に乗り、約1時間40分で福島駅に着く。そこから、太平洋に面する福島県相馬市方面へ向かうバスに揺られて約40分の山間の所に霊山町(リょうぜんまち)がある。
 霊山町には、なだらかな中腹から突如、切り立った奇岩の山「霊山」がある。お釈迦様が修行した天竺(インド)の「霊鷲山」になぞらえて「霊山」と名づけられ、それが町名の由来になったという。
「霊山」は古来、山岳仏教の一大拠点として、全国から多くの修行僧(山伏)たちが訪れた地でもある。


地域から「中学校」がなくなった!

 ひるがえって現代、このような山里の農林業を主体としたまちはどこでもそうであったように、人口流出と産業衰退に悩まされてきた。霊山町も例外ではなく、高度経済成長期頃から若者の地元離れ傾向が続き、昭和30年代に人口約15000人であったものが、今では約9900人(平成15年5月現在)までに減少している。
 少子高齢化の進行の中で、小・中学校の統廃合が行なわれてきた。霊山の麗にあった石戸中学校は昭和45年に霊山中学校へ統合。このため、石戸中学校は廃校となったが、産業振興と雇用拡大を願う地域の人びとの声を実現するため、地元の人が校舎を買い取り、ニット工場として活用してきた。このニット工場は、
50人の従業員が慟く場となった。小さな町の大企業に成長したのである。しかし、ニット産業は中国製品に押されて、数年前に操業を中止、文字通りの廃校となってしまっていた。
 石戸中学校の卒業生で、地元でしいたけやきゅうり栽培・加工を営む高野金助さん(52歳)は、以前から減農薬をモットーとした安心して食べられる野菜や食品づくりに腐心し、消費者との交流を行なってきた。高野さんは、消費者との交流だけではなく、子どもたちに「里山の暮らしを体験させたい」という夢を抱い
ていた。その夢を実現させたのが、時を同じくして“廃校”になった元・石戸中学校の校舎活用である。
 高野さんは、平成11年に“廃校”を借り受け、「体験研修施設」として修復。里山の体験ができる「里山がっこう」をオープンさせた。平成12年4月のことである。元・石戸中学校は、廃校後、ニット工場に姿を変え生きつづけ、工場閉鎖後は再び地区の“学校”として蘇えった瞬間でもあった。
「里山の暮らしの良さを子どもたちに伝えていきたい、という想いで動き出していたら、協力してくださる方々が集まってきました」と、高野さん。その1人が、霊山町の隣の福島市でパン屋さんを営んでいた松下勇さん。松下さんは、数年前から「里山で自給自足の暮らしをしたい」と考えていたという。知人の高野さんが自分の家の近くの農地と宅地のお世話をして、松下さんが移り住むようになった。
 その縁があって、松下さんは「里山がっこう」のパン工房職人として、パンづくり体験の第1期の“先生”となった。
「里山がっこう」にふさわしい素材選びから加工まで天然酵母を使った徹底した自然食へのこだわりが話題を呼んだ。
「手作りパン教室」には、地元の小・中学生をはじめ、近隣の児童・生徒たちが体験に訪れるようになってきた。
「パン生地づくりの時、たたくところがおもしろかった」「コンビニやスーパーで売ってるパンよりすごくおいしくて、何もつけなくてもおいしかった」(伊達地区子どもセンター情報誌『わぁ〜い!!』より)と、子どもたちの学習の揚が広がっている。
 霊山町教育委員会では、「総合学習の一環として、『里山がっこう』と連携しながら行なっています。地元に、このような施設があることは子どもたちの体験学習に役立っています。しかも、昔の木造建築の学校が生きつづけていることは、次の世代を担う子どもたちに、この『がっこう』の教室に行くだけで何かを伝えることになると思います」と、応援している。
 行政と民間とが、「廃校活用」を通して、違和感なく融合したまちづくりが始まっているといえよう。


廃校が「体験研修の学校」として“復校”

「里山がっこう」の体験研修教室は、以前の石戸中学校の教室と同じような形で活用されている。かつての1年A組は「パン教室」に、1年B組は「クッキー教室」といった具合に、4年目を迎えた今年には、「陶芸教室」「焼き物教室」「木工教室」「つる細工教室」「体操教室」「聴き方教室」「水カリンバ(楽器)を作ろうよ」というように、教室も増え、“入学生”も増えてきている。「この学校の先生になりたい」と言って、近隣の小・中学校で教鞭をとっていた教師が退職してボランティアで「里山がっこう」の先生を務めているケースも増えてきている。
 昨年の夏休みには、宿泊体験を行なった。参加した都会の子どもたちは「里山がっこう」の畑で農作業をし、そこで収穫した野菜などを素材に手作り料理を体験。自分で作った食事をみんなと食べるのは、ひときわ楽しいひととき。昼寝をしたあとは、近くの小川での魚獲リや里山での山菜摘みやしば刈り体験。その素
材をもとに、夕食も自分たちで工夫して調理した。里山で集めてきた枯れ木でのキャンプファイヤーは、都会の子どもたちにとって忘れられない1コマとして刻み込まれたのに違いない。
「子どもたちに里山での暮らし方を体験させたい。身をもって体験することによって、次の世代が育まれていくものだと思います」と高野金助さん。
「3年B組」の「つる細工教室」の先生は高野金助さん。体験研修に訪れる子どもかもからは、あのテレビドラマをもじって「3年B組の金八先生」と親しまれている。
 このように、過疎の里の「学校」ヘの、新入生々が増加していることは嬉しい現象である。


交流・体験の場としてのこれからの展開方向

「里山がっこう」を経営的に支えているのは、(有)リょうぜん天味園(取締役社長・高野金助氏)である。
「食品加工・販売をしている天味園が里山がっこうを支えています。『里山がっこう』は、いわばボランティア的な事業であり、地域の方々との協働事業として、里山での暮らしを体験していただくことで、癒しの空間、伝承の空間として活用いただければ幸いです」と、高野さん。
 地域と融合したこれからの農業のあり方を示唆しているようだ。