「まち むら」87号掲載
論 文

これからのコミュニティの処方箋(第6回)
合併とコミュニティ
伊 藤 光 造((株)地域まちづくり研究所所長)
 合併特例法の期限が来年三月に迫ってきていることから、ここのところ、合併論議が全国あちこちで喧しい。私の住む静岡県でも、すでに合併が整い新しい市が誕生した地域もあれば、ごく最近であるが、最終段階で破談となってしまったケースもでている。
 全国で設置されている合併の法定協議会数は合計五百八十九、構成市町村数は千九百五十五で、全市町村数に占める割合で六三・三%となっているという。
 今回は、果たして合併のなかでコミュニティはどうなるのか、あるいは、どうなるべきかを考えてみたい。


合併って隣同士の縁組?

 合併はある意味、人の縁組と似ている。しかも隣同士の縁組である。
 隣同士であれば、暮らしの環境はお互いよくわかっているといっていい。しかし隣同士であるからといって、必ずしも普段から胸襟を開いたお付き合いがある訳ではない。まして仲良しとは限らない。さらには懐具合もかなり違うというケースもある。あるいは過去の軋轢や、性格の不一致ということもある。
 なにやら人の縁組話のようになってきているが、実は人の場合よりもずっと難しい気がする。これらを乗り越えて新しい家庭、…ではなく、新しい自治体、すなわち新たな暮らしの仕組みを整えるというのが自治体同士の合併である。


政治・行政の合併と合併後の暮らし

 しかしながら、たいていの合併論議は、政治と行政の合併論がほとんど、と思える。例えば議員さんの数のことなどが課題となる。あるいは行政の効率化などが議論される。いずれももちろん重要なことである。が、基本的に大切なのは、住民の暮らしがどうなるか、である。
 果たして合併後、地域の暮らしはよくなるのだろうか? それともあんまり変わらないのだろうか? あるいはかえって悪くなりはしないのだろうか?…
 こういった暮らしの視点にたった議論があまりに少ないように感じている。実は合併プロセスでは、この点について新市建設計画、あるいはその前段に行なわれる新市将来構想の策定の過程で検討されることになっている。新しい自治体をどのようにつくるか、である。この議論を深めることで地域における暮らしの将来が展望できるのである。
 しかし現実には合併特例法の期限もあって、充分検討する時間がない、あるいはきちんとした議論ができるプロセスをとっていない、などにより形式的なまとめかたになっているケースが多いように思う。


コミュニティを前面に出した新市合併構想

 ひとつ事例を紹介しよう。静岡県の代表的な茶処である牧之原台地とその西側の田園地帯にある小笠町・菊川町だが、本年五月に合併協定書に調印し、来年一月に人口約四・七万人の菊川市が誕生することとなっている。
 実は昨年三月から七月、私も関わったのだが、熱心な住民ワークショップが開催され、合併のための新市将来構想づくりが進められた。
 この構想がユニークな点は、参加者の意見に基づき、大きな箱物(公共地設)づくりや派手な開発事業あるいはイベント開催でなく、どちらかというと地味といっていい、地域のコミュニティづくりを前面に出した内容でまとめられていることにある。
 ところがこれがなかなか評価が高かったのである。ワークショップで議論を始めた当初は、周辺市町との他の組み合わせを模索する動きもあり、かなり不穏な情勢もあった。が、この構想がまとまり、その説明会も進むなかで、二町での合併が住民に浸透していった。地域コミュニティを重視 する構想により、この合併は、住民の暮らしを大切にする合併なんだ、ということが伝わっていったのである。
 もちろん合併後の歩みのなかで真価が問われるのであるが、少なくとも暮らしの基礎をちゃんとしよう、という視点を合併の際に、きちっと持っていることは、評価に値すると思う。


地方自治法に「地域自治区」が位置づけられた

 さて、この連載の初回にもちょっと触れたように、昨年四月に“地域自治組織”に関する地方制度調査会の中間答申が出ている。その後十一月に最終答申がまとめられた。これを受け、すでに本年五月に「地域自治区」を盛り込んで地方自治法が改正されている。(施行は六ケ月以内の政令で示す期日)
 いよいよ「地域自治区」という名称で地域の自治組織を再構築する状況が整ってきている。
 地方分権の最終的な受け皿は、日常生活圏である“地域”となる。また地域福祉、防犯・防災など現在の暮らしの課題の多くに対処する基本がやはり“地域”であると思う。でその地域コミュニティがしっかりしないと、暮らしの将来は危うい、というのが私の観測だ。
 本来合併の有無に係わらず、このことを真剣に議論しそれぞれの自治体なりの考え方や方法を樹立すべきと思うが、とりあえず合併は、このことをみんなで考える絶好の機会であると思う。


暮らしを支えるコミュニティの再構築

 これを是非しっかりと考えてほしい。
 ちょっと話しが前後するが、合併論議を始める際、何故合併するのか、しなくてはいけないのか、などソモソモ論がはっきりしていない場合が多い。
 自治体財政がピンチで、このままでは赤字がどんどん膨らんで再建団体になってしまう、あるいはこのままでは、行政サービスを大幅に削らなければいけない、など、現状で抱える問題をまずはっきり認識する必要がある。そのうえで、合併を議論すべきである。
 でその議論の行き着く先の重要なひとつが、地域コミュニティの活性化である。そのためには、前回も述べたように、町内会・自治会など地縁団体の活性化やNPOなど志縁団体の育成、この両者の連携を図ることなどにより、行政との連携のもとに暮らしを支える体制を再構築する必要がある。


この夏の豪雨に思うこと

 今年は記録的な猛暑が続いたが同時に、台風や豪雨の当たり年のようである。先日の新潟の豪雨でもそうであったが、どうもニュースを聞いていると、一連の災害のなかで、お年寄りが亡くなるケースが多いように思う。
 近隣の災害でとりあえず重要なのは何よりも避難である。高齢社会となり、どこでもお年寄りが多くなっているが、避難の際、隣近所で声をかけ、耳や足腰の不自由なお年寄りを助けるという、一昔まえならあたりまえのことが、できなくなっているのが原因ではなかろうか?
 つまりコミュニティが希薄化した結果、まずお年寄りなど地域の弱者が犠牲になっているのではないだろうか? もしそうであったら、これは何とかしなくてはいけない。お年寄りだけでなく、子どもも含めすべての人が安心して暮らせる地域にすることを真剣に考える必要がある。
 以上は例えば災害のことだが、防犯やゴミの問題、青少年の健全育成など暮らしの課題はいろいろあるはずだと思う。本当は、合併の除にも、是非そういったことから議論してほしいものである。