「まち むら」89号掲載
ル ポ

命と生活を守るために個人のプライバシーに挑戦する
愛知県名古屋市緑区・森の里荘自治会
必要があれば、出掛けていって

「子どもが部屋の中を走り回る音がうるさい」「交通事故にあって困っている」「隣から悪臭がただよって来る」「失業して家賃が払えない。追い出されたらホームレスになるしかない」「離婚の悩み」「税務相談」「病気」……。それこそ、自治会の会員個人が抱える悩みの相談にのってくれる自治会がある。愛知県名古屋市緑区の森の里荘自治会である。
 大高南コミュニティセンターの玄関を入ると、右手のドアには「なんでも生活相談所」と書かれた看板が掲げられている。6畳か8畳ほとの広さ。普段は自治会の会議やサークル活動の部屋として使われるが、ここは月曜日を除く毎日、10時から12時まで、そして午後、住民のために近隣のトラブルから個人的な困りごと・悩みごとまで、文字通り何でも相談にのって、支援してくれる。
 この“なんでも生活相談所”は、この時間帯に相談所にやってきた住民だけに開かれているというものではない。多くの場合、住民同士の立ち話やうわさ話を役員が聞き付け、あるいは隣近所の住民が通報することによって、自治会長の小池田忠さんをはじめ、自治会役員たちが困リごとを抱えた住民の家に出かけて行って相談にのる。
「いや、もしかしたら、出掛けていって解決する方が多いかもしれない」相談所なのである。


“もっと生きていたかった”

 それは、平成15年3月のことだった。この住宅団地に引きこもりの青年と母親のAさんの2人が暮らしていた。Aさんが交通事故にあって3か月ほど入院し、その後自宅療養していた。そのAさんから翌年2月、同じ団地に住む元同僚のもとに、蚊の鳴くような声で「男性の下着等を買ってきて!」という電話がかかってきた。その同僚が頼まれた品物を届けると、その家の青年が玄関を少し関けて品物を受け取ったという。このときの様子を“おかしい”と気づいた元同僚は、自治会に相談を持ちかけた。
 早速自治会と民生委員が一緒になってこの家を訪ねたが、青年はどうしても玄回を開けようとはしなかった。電話も留守電となっていて、連絡の手段が断たれた格好となった。そこで自治会がいざと言うときのために各家庭から提出してもらった“生活安全調査票”に書かれている緊急連絡先の妹さんに電話をしたが、やはり連絡が取れなかった。
 自治会では、保健所とも相談し、保健師と精神相談員と一緒に再び訪問した。しかし、青年は頑として玄関を開けようとはしない。小池田さんは「ガラスを破って中に入る」ことを提案したが、保健師は警察が立ちあった方がいいと主張した。しかし、警察からの返事は消極的で「切迫性がない」という態度を繰り返した。その後も、自治会、民生委員、保健所、福祉事務所、警察との間で協議を繰り返したが、議論は堂々巡りで結論が出なかった。そこで小池田さんが決断を下した。「自治会長の判断でガラスを破る。責任は自治会長がとる」と。
 最終判断が決まった日の夜、元同僚のもとに母親Aさんから電話がかかって、「明日は鍵を開ける」ことを伝えてきた。翌朝、発見された母親Aさんは歩くこともできないひん死の状態で、すぐに救急車で運ばれ入院した。息子も痩せ細っていた。聞けば1月からコンビニ弁当を1日1食、2人で食べていたと言うのである。もちろん息子もケアを受けることになった。
 入院した母親Aさんは「もう少し早く自治会に相談していれば良かった。あの頃は死んでもいいと思っていたが、今はもっと生きていたい」と胸の内を語っていたが、入院後、約半月で亡くなった。ケアを受けて青年は、その後就職先も決まり元気に活躍している。


荒れた役員会の立て直しをはかって

 名古屋市緑区大高、ここは東海道線沿線の大高駅から歩いて10分ほどのところに、名古屋市住宅公社が世帯数1,226戸の集合住宅団地を25年ほど前に造成して出来た団地である。
 自治会が出来て活動を姑めたが、その頃の自治会は暴力団がかかわりを持つようになっていて、会議は荒れに荒れた。灰皿が飛び交い、どう喝、恐喝まがいのこともしばしばあり、役員会も正常に開けない状熊が続いた。
 小池田さんは、この頃は自治会に関わっていなかったが、役員の中に、これではいけない々と考える人がいて、一緒になって正常化しようと正常化委員会を作って自治会の刷新を図ることにした。そのためには、「役員会がどのようになっているのか、一般住民は分からない」現状を知らせようとビラを配布して一般住民に正常化を訴えた。そして役員選挙が行なわれ、同委員会から立候補したメンバーが全員当選を果たしたのである。
 それから3代目の会長の浦里さんのもとで「自治会のありよう」を議論することになった。そして出た結論が「祭りやレクリエーションだけでなく、悩み、困難を抱えている住民が安心できるようにすることが自治会の役割ではないのか」というものであった。
「それには住民の希望や要求を実現していくために相談にのるべきだ」として、「生活保護から就学援助等プライベートな相談に取り組みはじめた」。そして、約10年前、「何でも相談所」という名を付けた。相談は、家賃減免、生活賃金、生活保護、就学援助、介護保険、心身障害、進学、子育て、虐待、近隣トラブル等、多岐にわたっている。多くの場合、相談は各棟の棟長のもとに持ち込まれ、そこで解決される。だから「その総数は分からない」が、相談内容はすべて自治会役員会にその都度報告されている。
 相談はまた、電話でも受け付けている。自治会役員、民生委員、保健委員等が一体となって住民の悩みを聞き、その支援に当たっている。ときには民生委員が住民の悩みを自治会に持ち込み、相談する光景も見られる。なぜなら、「民生委員、保健委員、行政協力委員の選任は自治会の推薦」によるからである。


実績によって生まれた強い絆

 この自治会による生活相談の10年以上にわたる歩みは、住民と自治会の絆を極めて固いものにしている。たとえば、自治会が集めた個人のプライバシーに関する家族構成員、勤務先、かかりつけの病院、親戚、友人等を記載する前記の生活安全調査票は、約95%の家庭が提出に応じている。また。独り暮らしの87歳の老人の家で2、3日新聞が溜まっているのを発見した住民の通報で、ガラスを割って入ったところ脳梗塞で倒れて動けないでいる老人を発見したりした。このため独り暮らしの高齢者から希望を取って玄関の鍵を預かる事業を始めようと、アンケートを取ったところ、「50世帯の内40数世帯が鍵を預けたい」と言ってきたという。


コミュニティシンフォニーを目指して

 活動を振り返って、小池田さんは、自治会の理想について次のように語った。「地域コミュニティの目指すものはコミュニティシンフォニー(地域内の人が共生、共育、共学、共遊、共助、共働を通して人間関係の営みをつくり、それを共有、共感する関係づくリ)を構築する」ことであり、コミュニティの実践者の課題として、「コミュニティ成員の生命、財産、自由、幸福追求の権利を具体的に保障する諸施策、方法、技術等を科学的に分析し、総合化、普遍化することである」と考えている。
 ここには、住民が安心できる拠り所が確かにある。