「まち むら」92号掲載
ル ポ

理想と現実の狭間を越えて外国人との共生をめざす
埼玉県・認定NPO法人ふじみの国際交流センター
 埼玉県南西部に位置する富士見市。緑豊かな田園都市の中でも住宅の多い地域、子どもたちの声がにぎやかな小学校の向かいに、NPO法人「ふじみの国際交流センター」の事務所がある。
 センターは一九九八年に設立された。富士見市と近隣のふじみ野市、三芳町を中心に活動している、在日外国人のための支援団体だ。日本人と外国人、それぞれ三十人ほどの常駐スタッフが運営に当たり、「外国人の自立支援」と「国際交流の推進と共生の街づくり」の二本社で活動を進めている。
 前者の生活相談、シェルターの提供、六か国語の生活情報誌の発行、日本語教室、授業支援、子どもクラブ、親子日本語教室、ヘルパー研修、パソコン教室は、外国人が日本で暮らしていける生活能力を養うのが目的。
 後者の英語・ポルトガル語・中国語・韓国語教室、スポーツ教室、国際わいわいクラブ、国際理解講座、人権講座、DV被害者支援ボランティア講座、地域の祭りへの参加、緊急対策事業、NPO支援、行政からの委託事業への参加は、外国人と地域、行政を結び付ける役割を担っている。
 台湾から帰化し、現在センターが発行する情報誌の翻訳も手掛けている山崎友里さんは「センターに来ると安心できる。友人もたくさんできた」と語る。


在日外国人の駆け込み寺を目指して

 設立のきっかけは、十年前に遡る。富士見市と同じ東武東上線沿線の朝霞市で、英会話を教えていたニュージーランド人講師が帰国することになり、「先生に恩返しをしよう」と生徒たちが外国人と交流を図るサークルを立ち上げた。
 「私が住む大井町(上福岡市と合併して現ふじみ野市)にも、こういうサークルを作りたい」。メンバーの一人だった石井ナナエ理事長はそう思い、地元の公民館に打診。サークル発足から三年目、外国人から問い合わせがあった。
 早速、仲間とともに日本語クラスを開設したが、受講生の外国人と接するうち、石井理事長は彼らが抱える悩みや問題の深刻さにがく然とした。「在日外国人の六割は一人暮らしであること、親の都合で日本に来た子どもの大半が学校の授業についていくのが大変なこと、日本人男性と結婚した外国人妻の就職が困難なこと、夫から虐待されている人の多いことを目の当たりにした」。そして、そんな彼らのための「駆け込み寺」が必要だと痛感するようになった。
 一九九六年、日本語ネットワークの結成に取り組んでいた埼玉大学の野元弘幸助教授(当時)と出会い、外国人との交流拠点設立の呼び掛けを開始。翌年、上福岡市に一軒家を借り、「ふじみの国際交流センター」として本格的に始動。設立総会の二年後にNPO法人認証を取得し、二〇〇三年に現在の事務所に移転した。


生活相談は親のように厳しく優しく

 センターに昨年度、在日外国人から寄せられた相談件数は四百八十七件。内容は教育が四分の一を占め、生活や医療、言語、家族に関する悩みも多い。行政からも委託を受けている生活相談には「友達がほしい」といった悩みから、緊急の用件までさまざま。電話は昼夜を問わずかかってくる。まさに「駆け込み寺」だ。
「最初は何でもやってあげようというスタンスだったが、次第にどうしたら自立できるか、そのためにはどんな支援が必要かを考えるようになった」。七年前から生活相談を担当している小原知子さんは、こう振り返る。
 生活相談には通常、二人のスタッフで対応する。一人は父親のように厳しく、一人は母親のように優しく接すること で、「いろんな選択肢があることを示し、その中で相手によく考えてもらう」(小原さん)という。だが、逆に相談から考えさせられるケースもある。
 三十歳代のあるフィリピン人女性は短期ビザで入国し、腎臓病を患った。しかし、いわゆる不法残留外国人だったため保険証がなく、一日十万円の入院費が払えなかった。そこで相談を受けたセンターが病院と交渉、分割払いにしてもらった。彼女は歩けるまでに回復したものの、入院費が払えなくなり帰国。現地の病院で治療を受けたが死亡した。
 「日本で治療を続けていれば、保険証があったら、彼女は死ななかったのではないか。そう思うと、今でも無力さを感じる」と小原さんは悔やむ。


複雑な日本語を分かりやすく教える

 在日外国人にとって、一番大きな問題が言葉の壁だ。とりわけ日本語は世界の言語の中でも「最も難しい言語の一つ」と言われている。戸塚咸(みな)子さんは、そんな日本語を教える講師の一人として活躍している。
 小学校の教員をしていた戸塚さんは定年退職後、センターで活動を始めた。初めて受け持ったのは中国人の男の子。二人とも日本語は全然分からなかったが、自前のテキストで簡単な名詞から教え、日常会話ができるまでに上達した。
 「子どもは飲み込みが早い。一方、大人は必要に迫られている人ほど真面目に勉強する。授業では間違って覚えないように、正しい日本語を繰り返し話して聞かせている」
 言葉の習得は自信にも繋がるという。
「最初は固かった表情も日本語を覚えるにつれ、だんだん柔らかくなっていくのが分かる」。最近は日本語検定一級を目指す生徒も現れ、戸塚さんはやりがいを感じている。


外国人支援という壁を乗り越えて

 二〇〇三年、センターは国内十六番目の認定NPO法人になった。全国三万のNPO法人の中でも、厳しい審査を経た団体だけに許可される認証で、企業や市民からの寄付金が税金の控除対象になる。
 「真面目に真剣に活動している団体であることを証明してほしかった」。石井理事長の言葉の裏には、これまで歩んできた苦難の道のりがある。
 外国人支援。その理想と現実のギャップを思い知らされた事件があった。ある日、事務所に届いた十一万円もの電話料金請求書。「誰でも自由に出入りしてほしい」。そんな善意で外に置いておいた玄関の鍵を使って、夜中に利用者の外国人が勝手に忍び込み、母国に国際電話をかけ続けていたのだった。
 センターが存続の危機に瀕したこともあった。契約期間の終了から上福岡市にあった前事務所の立ち退きを迫られ、移転先を探して回ったが、「外国人が頻繁に出入りすると、住民から気味悪がられる」などと断られて難航。そのため行政機関による事務所の買い上げを求め、署名運動まで展開した。
 さまざまな紆余曲折を経て二〇〇五年十二月、ふじみの国際交流センターはふじみ野市に活動拠点を移し、新たなスタートを切る。
 「今でもまちで外国人を見掛けると、何か困っていないかとつい声を掛けてしまう」と石井理事長。テロや戦争の影響で国際情勢が刻々と変化する中、「私たち」と「彼ら」を結ぶセンターの使命はますます重要になってくるだろう。