「まち むら」96号掲載
ル ポ

山里の小さな集落の大きな試み 地域を愛し守るため、女性たちの挑戦
新潟県上越市・細野集落/特定非営利活動法人自然王国ほその村
 戸数23戸、人口70人に満たない小さな集落だが、心の過疎になるまいとみんな元気がいい。都会から人を呼び込み、人・物・情報の流れをつくり自分たちの手で自治を進めてきた。その元気な源は、「自然王国はその村」。しかも中核になるのが“かあちゃんの力”だ。全国でも珍しい「集落ぐるみNPO」である。


集落が動くには価値観の共有

 細野集落は、上越市安塚区の中心から6キロ、大島区に通ずる国道403号線沿いの山間地中腹に点在し、棚田に囲まれ、集落内への人の往来も少ない。「幹線から外れ、過疎、高齢化が進み、このムラの将来はどうなるのだろうか」と誰もが危機感を抱いていた。
 ムラが動き出しのは26年前、昭和54年。リーダー格の丸山新さん(現・NPO法人自然王国ほその村理事長)の呼びかけで成壮年が集まり、酒を呑みながらの本音を語り合う夜なべ談義に花を咲かせた。
 談義を重ねる中で「ここで生きていくには現状から抜け出し、価値観を共有しみんなの気持ちが変わらなければだめだ」と、一人の思いが二人の思いに、二人の思いが三人へと重なりつながった。
 まず始めたのが、年に2回の県内外の地域おこしの先進地視察。この研修で大事な約束は“夫婦同伴参加”の原則だ。視察を繰り返すうちに細野よりさらに劣悪な条件の中で集落が一体となって一生懸命、取り組む姿に“スゴイ”と思い、行政に頼らず地域が主体になる生き方を学んだ。
 見て、聞いて、考え、会合を繰り返し重ねるうちに“俺たちも何かやれる”という気持ちが互いにわいてきた。
 しかし、人口流出はとまらない。農業に頼る生活は厳しくなる一方だ。生活を豊かにするには働く場をつくり所得につなげることがポイント。しかし何をどのように始めたらいいのかこれという名案はなかった。
 一冬を越し、雪解けとともに山野草が咲き、ふさぎ込んでいた気持ちも明るくなった。山菜の季節になった。そのころ山菜ブームであった。ムラでは外部からの山菜採りに困り果てていた。「どうせ取られるくらいなら山菜採りをメーンに全山開放し、集落事業として取り組んでみたら」の意見にまとまった。逆転の発想だ。こうして平成元年、手づくり交流イベント「みどりのほその春の祭典」が実施された。


人を呼ぶ「みどりのほその春の祭典」

 5月の連休の1日にみどりのほその春の祭典は開かれた。準備は1か月前から始まった。看板、案内、ガイドすべて手づくり。女子衆は山菜弁当、男衆は山菜採りのガイドや受付け、駐車場整理。子供会は竹の子汁づくり、集落総出でもてなした。村内で一番高い六夜山でコンサートを開き、訪れた人は山菜弁当と竹の子汁に舌鼓を打つ。青空市場では笹だんご、木工製品が飛ぶように売れ、すぐ品切れとなった。山菜弁当の売り上げは350個を超えた。
 この祭典が人気を呼び、毎年大勢の人で賑わい、交流の輪が拡がり、心の交流も深まっていった。年を重ねるうちに都市部からのリピーターも増えた。普段気が付かなかった当たり前のことが来訪者には新鮮で感動を与え、集落の人たちに細野の良さ、素晴らしさを教えてもらうことになり、自信とやる気につながった。評判がいいなら“商品化”も考えようと思うようになった。


自立の道 かあちゃんの家と工房ほその

 いよいよ事業の展開かはじまった。
 何もかもやれるという自信がついた平成6年、事業展開に向けて細野生産組合を設立し、かあちゃんたち6人は、以前から活動していた生産グループを再編し、笹だんご、おこわの加工施設「かあちゃんの家」を、リタイアした大工、かやぶき職人であるじいちゃんたちは、往年の技術を活かし、地元の材料を用い、茶托、お盆、ベンチ等木工製品を作る「工房ほその」を建設した。どちらも公的補助を受けたが、生産に携わる人たちが2割を負担した。
 さらに、これまで取り組んでいた田舎体験やコシヒカリオーナー制も人気を呼び、交流が盛んになると、来訪者からは「是非、細野にゆっくり泊まりたい」という要望が出てきた。これに応えて、体験交流施設「六夜山荘」を旧安塚町が建設し、細野生産組合が独立採算で自主運営することになった。赤字が出ても町は補填しない。すべての責任とリスクを集落が負うしくみだ。
 給料は働いた時間に合わせて支払うシステムを採用し、賃金を稼ぐにはより頑張らなくてはならない。「おかみさん制度」を導入し、おかみさんが調理人を手配するなど宿を切り盛りし、男衆は経理や宿直を交替で行なった。「かあちゃんがんばれば、とうちゃん踏ん張る」。かあちゃん主役、とうちゃん脇役の二人三脚である。そしてホテルとは違う心に残るものを提供しようと懸命になった。
 活動は、だれからも指図を受けることなく、自分たちで、デザインし、資源、人材情報を組み合わせ、生産、加工、販売、消費体験の一貫経営を集落内で完結し、集落ぐるみでの自立の道を歩んだ。


NPO法人を選択、収益は福祉・研修に充てる

 平成16年6月、任意の生産組合からNPO法人「自然王国ほその村」に移行した。生産法人、有限会社、株式会社などのいずれの形態をとるか検討を加えたが、17年4月に上越市との合併を控えていることもあり、一層の自主自立が重要になることから、最終的にはだれでもが参加できるNPOを選択した。
 事業を効率よくするため、総務部、事業部、イベント部の3部会を設け、各部会ごとに独立採算制を取り、また、研修や福祉の費用にも充てている。
 平成17年度の収支は、全体で数千万円の粗収入を稼ぎ出し、収支はトントンである。集落の中に雇用の揚があることは非常に心強く、歳をとっても元気であれば生涯現役である。その上、人との交流で心も若返る。
 これからの課題は高齢化が進む中、他からの人材導入も視野に入れ、若い世代にどうバトンを渡すかであろう。
 山里の小さな集落細野地区は、誰に頼ることもなく、その大地にしっかり立ち、新たな集落の歴史を刻む試みに今挑戦している。