「まち むら」97号掲載 |
ル ポ |
「個性で共存! 住民自治を推進しよう」を合言葉に |
埼玉県所沢市・地縁団体法人こぶし団地自治会 |
助け合いセンターが発足 こぶし団地は、西武新宿線の所沢駅からバスで10分ほど、県道をはさんで所沢航空記念公園と隣接するところに位置する。自治会員は1030世帯(団地に接する30世帯を含む)。敷地は4万坪。2階建て1棟に2世帯の住宅が並ぶ。この団地が誕生したのは1966年のことである。 昨年9月1日、こぶし団地自治会助け合いセンター〈コスモスの会〉が発足した。団地の現在を象徴する事業である。「この助け合いセンターは、自治会員で『高齢者、身体障害者、病弱者の方々』が日常生活で困った時、支援を求められる『共に助け合い、支えあう組織』です」と、会員向けのチラシに説明されている。40年の歳月を経て高齢化がすすみ、このような活動が必要とされるようになった。事務局を自治会館に置き、責任者は、病院事務長を経て介護施設で働く自治会役員が引き受けた。利用者は前もって1枚100円の「利用カード」を購入する。支援者は自治会員の有志で、健康グループ、居住グループ、電気グループ、庭グループ、に分類されている。たとえば、住居グループの内容をみると、不要品の搬出処理、水道・水漏れなどの応急処置、高窓拭きや家具の移動など、ちょっとした修繕など、である。 この事業の準備のために2年間、勉強会を続けたそうだ。守秘義務を考慮してわざわざ他の地域の民生児童委員を招いて話を聞いた。病院へのクルマの送迎については法律に抵触するおそれもあるなどの理由で当面はおこなわないことにした。また、ニーズの把握と支援者の募集に何回もアンケート調査をおこなった。このような周到な事前の準備が、この自治会の堅実な活動ぶりを教えてくれる。『団地ニュース』最新号(No.881)には「ともに協力しあえる地域に暮らして幸せだとつくづく実感しました」と記された利用者の礼状が掲載されている。 これまでにも空き家調査、独居老人家庭調査、緊急連絡先登録受付活動などをおこなっており、高齢化のすすむ郊外の地域活動のお手本となるような事業である。 埼玉県の最優秀賞を受賞 昨年の11月、こぶし団地自治会は、埼玉県の「住民自治組織活動功績団体表彰」で最優秀賞を受賞した。これまでの活動が高い評価を受けたわけだ。まずその成り立ちからみていくことにしよう。 こぶし団地は、東京都内の区労協(区労働組合協議会)に加盟する民間企業の労働組合が協力して、厚生年金還元融資を利用して建設された。団地の名称は入居者から募集して命名した。勤労者の団結の所産であることを記念すると共に、こぶしの花のような綺麗なまちにしたいという願いが込められている(のちに地名変更でこぶし町が誕生する)。この団地づくりは、労働組合の福利厚生の活動だったのである。 自治会の前身は、入居前に組織された団地委員会である。入居後の自治会組織は、団地を23ブロックに分けて108個班に編成し、各ブロックから1名の役員を選出して毎月定例役員会を開催している。会長などの三役はこの役員会が選出する。 自治会費は当初、月額600円。1978年に1000円に改定し共益費とした。その後、管理費に変更した。このように、この自治会は管理組合の性格をもつ。月額1000円の管理費に驚くが、駐車場経営や古紙回収、自販機収入などによって工面してきた。役員会で酒を飲むということもないという。 入居早々から、桜祭り、団地祭り、盆踊り大会、凧揚げ大会、プール遊び、お化け大会、秋の団地運動会、正月の餅つき大会など、数多くの行事をおこなった。団地祭りでは、団地中央道路を交通止めにして模擬店を出し、花火を打ち上げた。餅つき大会では、子どもたちの行列が途絶えなかったという。高度経済成長期に、新たな暮らしに希望をもった人々の熱いおもいが伝わってくるような気がする。現在は、年齢構成の変化もあって行事を工夫して、桜祭り(4月)、盆踊り大会(8月)、地区敬老大会(9月)、並木地区ふれあいフェスティバル(10月)、成人式(1月)を実施している。 暮らしを支える、数多くの事業 入居前の1965年、所沢生活協同組合を設立して、団地の中央に店舗を建設した(これがのちに県内有数の生協、さいたまコープとなる)。入居後、医師を招いてこぶし診療所を開設した。所沢市に土地を寄附して市立保育園を開園すると、これと併せて独自にゼロ歳児保育所と学童保育所を設置した。 1972年に用地を取得して、79年に鉄筋2階建ての自治会館を建設した。職員が常駐して、通夜や告別式の利用にも提供してきた。85年には、自治会館前の住宅を購入して、第2会館「ふれあいサロン」とした。1階を住民の懇談の場、2階を宿泊施設として、住宅火災の被災者の緊急収容施設や、住宅の風呂場や便所の改修時の代替施設とした。 1995年には、県道沿いの自治会所有地に「津南ふれあいセンター」がオープンする。新潟県中魚沼郡津南町の物産を販売して、都市と農村の交流をすすめるための施設である。津南町とのあいだで「災害援助友好協定」を結び、地下倉庫の米は災害時の備蓄米になる。先般の豪雪被害には、津南町へ見舞金、義損金を届けたという。 防災活動については、自主防災会を組織し、防災器材庫、非常用井戸などを備えている。2本の非常用井戸は、道路工事業者に資材置き場を提供する代わりに無償で掘削してもらった。このような知恵と工夫も、この自治会の活動の特徴である。 このほかにも、バス停待合所と駐輪場の設置、ごみ減量のためのEMによる堆肥づくり、防犯パトロールや児童見守り隊の活動など、数多くの事業がおこなわれている。 住民自治の思想 1993年、こぶし自治会は、地縁団体法人の認可を得て法人化した。これによって、団地内の公園や緑地などの共有地、二つの自治会館、182本の私道などが自治会の名義で登記されて、財産管理が安定した。そうはいってもなお、車椅子生活者の増加にともなう通路(私道)改修など課題は少なくないという。 毎年の議案書の表紙に記載される「個性で共存! 住民自治を推進しよう」というスローガンに象徴されるように、この団地は、自治会を中心に住民自治を追求してきた。津南町との災害援助友好協定にみられるように、まるで独立した一つのまちのようだ。「地方自治は民主主義の学校である」というイギリスの政治学者、ジェームス・ブライスのことばに忠実であろうとした活動は、地元住民とのあいだで行き違いもあったという。しかし、長年の懸案事項である、土地所有権をめぐる市とのあいだの法律問題も円満解決のめどが立ち、そういう状況も一段落しようとしている。 わたしは、自治会長の吉田常雄さん(大正15年生まれ)と、副会長の川下寅夫さん(昭和5年生まれ)にお話をうかがったのだが、事前に詳しい資料を送ってもらっていたものの、じっさいにお話を聞き、この自治会の活動の広がりと奥行きに、あらためて圧倒されるおもいがした。 お二人は共に「軍国少年」であったという。「戦争で、たくさんの人が死んだ。生き延びたので真面目にやりたいと思った」と語る吉田さんは、戦後の混乱期に社会事業家の賀川豊彦の松沢教会へ通い、協同組合運動に関心をもつようになったそうだ。また、お二人は戦後、働きながら大学に学んだ苦学生でもある。川下さんは大学卒業後、私立高校の教師を続けて若者の教育に努めてきた。このようなお二人の人生の歩みを重ね合わせてみると、この自治会の活動は、戦後思想史の工員を飾るものといえるだろう。 「さんずいのない人とは付き合えない」ということばを、吉田さんに教えてもらった。さんずいとは、「汗」と「涙」のことだ。自治会・町内会活動に苦労する、心ある役員の皆さんには思い当たるところがあるのではないだろうか。 |