「まち むら」98号掲載
ル ポ

共に支え合う精神障害者のグループホーム
茨城県水戸市・NPO法人並木会
 今年6月に発表された「障害者白書」によると、精神障害者の数は303万人。3年前より約45万人増加し、初めて300万人を超えた。精神科の入院患者約35万人のうち、家族や地域の受け入れ条件が整えば退院可能な、いわゆる社会的入院患者は約7万6000人にのぼる。3年前、茨城県水戸市に誕生した精神障害者のグループホーム「やまと」は、そんな精神障害者4人を社会的入院から解放し、自立への支援を続けている。


地域に根ざしたグループホーム

 前日から降り続いていた雨が止み、空には初夏を思わせる太陽が輝いている。水戸市郊外の大和集落にあるグループホームやまとは、この日の地域交流会を心待ちにしていた子どもからお年寄りまでおよそ60人でにぎわっていた。
 参加者のなかには、集落の人もいれば、理事長の並木弘幸さんとつぎ子さん夫妻の2人の子どもの家族、弘幸さんの現役時代の友人、つぎ子さんの高校時代の友人など、県内各地から車を走らせて来た人も少なくない。
 庭先では男性たちが豪快なバーベキューを用意し、休憩所では女性たちが地域の人から差し入れられた赤飯をお結びにしていく。入居者は子どもたちにせがまれ、綿菓子づくりに追われている。
 昼食の準備を待つ間に、合唱会も行なわれた。入居者のひとりがピアノを奏でると、東海村から駆けつけたオペラ歌手、池添さえ子さんの指揮で、参加者が唱歌や歌謡曲を口ずさみ始めた。プロとして活躍する池添さんは、パイプ椅子を並べた倉庫を舞台に、プッチーニの「わたしのお父さん」を独唱。入居者のピアノの独奏が続く。
 歌い終えた参加者は入居者を囲み、焼きたてのバーベキューと、差し入れられた数え切れないほどのお惣菜や果物を口に運びながら談笑を楽しみ、なごやかなひとときを満喫していた。


とんでもないことが始まった

 3年前まで、並木さん夫妻は、精神障害者のことも、NPO法人制度も、グループホーームという施設の存在も知らなかった。そんな2人がグループホームを開くきっかけは、弘幸さんの定年を控え、敷地内に「隠居所」の建設を計画したことに始まる。これを知ったつぎ子さんの友人がこうつぶやいた。
「その隠居所を少し大きく建てて、精神障害者に貸してくれないかしら」
 地域に受け入れ先がない精神障害者は社会的入院を強いられている。友人の娘もその一人だった。
「いいよ」
 部屋を貸せばいいのだと思ったつぎ子さんは、軽い気持ちでそう即答した。
「これはとんでもないことが始まったと思ったのは、その後ですよ。それがどんなにたいへんなのか、何にも知らないからできたんです」(つぎ子さん)
 2人は精神科専門の県立病院のデイケアでボランティアを通して初めて精神障害者に接した。つぎ子さんは精神障害者の介護を学ぶため、ホームヘルパー2級の資格を取得。弘幸さんは隠居所の設計図を白紙に戻し、グループホームに変更すると、資材の調達から建設へと奔走する。1000万円を予定していた建設費は3000万円になった。この間にも、NPO法人設立とグループホーム開設の申請のため役所に日参する日々が続いた。
 2人はもともと人と交わり、もてなすことが好きで、弘幸さんの仕事先の人を自宅に招いては、つぎ子さんの手料理でもてなしていた。あまりにも多くの人が出入りするので、新婚時代には「あなたの旦那さん、どの人なの」と近所の人に聞かれるほど客の多い家だった。
 精神障害者のグループホームの計画が地域の反対で挫折する例が少なくない。しかし、2人の人柄を知る地域の人たちは、誰一人反対しなかった。こうして2005年4月、グループホームやまとが開所した。


入居者の自立に向けて

 精神障害者への先入観をもたない2人は、ふつうの生活を送るうちに、4人の入居者を自立へと導いていった。
 長期にわたる入院生活では体を動かす機会が減るため、肥満に陥りやすい。入居したばかりのメンバーの体重は100キロを超えていた。つぎ子さんは低カロリー食を勉強し、弘幸さんは毎朝、散歩に連れ出し、食生活と運動の両面から減量に乗り出した。弘幸さんはまた敷地内に農業用のビニールハウス2棟と休憩所も建設し、近くに600坪の畑も借りた。
「太陽の光を浴びて、土に触れ、体を動かして汗を流せば、気分も晴れると思って、私も一から農業を学びました」
 無農薬の野菜はつぎ子さんの手で料理され、日々の食卓を飾るだけでなく、夏にはじゃがいも掘り、秋には収穫祭と、地域との交流を図るツールにもなる。こうした努力が実り、入居者は20キロ以上の減量に成功。健康を回復した。
 さらに、4人の入居者一人ひとりが並木さん夫妻に背中を押され、小さな成功体験を積み重ねるうちに、次第に社会性を身につけ、症状も改善されていった。
 音大でピアノを学んだ50代の男性は、20年以上封印していたピアノの演奏を再開。デイケアに通う50代の男性は、8キロの道のりを毎日、自転車で往復するようになった。30代の男性は、弘幸さんの元取引先の会社で働き始めた。


感謝の言葉が最高の報酬

 ピアノ演奏を再開した50代の入居者は、地域の会合や旧内原町の音楽祭などにも出演するようになった。初めて聴衆を前に演奏を終えたこの男性に、弘幸さんはこう語りかけた。
「障害はあるかもしれないけど、あなたはボランティア活動をしたんだよ。人を喜ばせることができるんだよ」
 ここでは日々の生活においても、互いに支え、支えられる関係が定着している。4人は高齢のため別棟に同居するようになったつぎ子さんの両親をいたわり、手を差し延べて歩行を助ける。そのうえ、入居者の自立に惜しみない支援を続けている並木さん夫妻の第二の人生をも豊かにしてくれたと弘幸さんは語る。
「私たちも入居者を通して視野や人脈を広げ、成長させてもらっています」
 やまとの運営資金は支援費に支えられている。その金額は年を追うごとに減額され、年金がなければ生活は成り立たない状況にある。だが、「薦めて申しわけなかった」と詫びるつぎ子さんの友人に、弘幸さんはこんな言葉を返した。
「おかげで毎日、充実した日々を過ごすことができて、かえって感謝していますよ。入居者が満足してくれ、変化を目のあたりにした家族が涙を流して喜んでくれる。それが最高の報酬です。その喜びはお金には換えられません」
 そして、つぎ子さんはこう微笑む。
「グループホームはとっても楽しいし、みんなが4人ずつ引き受ければ社会的入院もなくなるから、やってみたらって人にも薦めているんです」