「まち むら」98号掲載
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“音楽都市こおりやま”を彩る中心街の「ベンチ・イス」の設置活動
福島県郡山市・世界ベンチ・イス創作コンテスト実行委員会
 郡山市は福島県のほぼ中央に位置し、人口約33万人の都市。県庁所在地の「県都・福島市」に対して、「商都・郡山市」と称され、商業・産業の中心都市として発展してきた。しかし、ここにきて地方都市の衰退傾向が顕著になってきた。
 そうしたなか、「下ばかり向いていても状況は変わらない」と、ここ数年、“音楽都市こおりやま”をキャッチフレーズにしたまちづくりに力を入れ話題を呼んでいる。


「音楽都市」のスタート

 “音楽都市こおりやま”の歴史は古い。戦後、新興の産業都市として発展してきた郡山市には全国各地から労働者が集まってきて、活況を呈するようになった。
 経済が活況を呈するようになってくると、負の部分もつきまとう。工業中心の都市であったかつての郡山市では、暴力団の抗争が相次いで勃発し、「東北のシカゴ」というありがたくない蔑称も与えられるような情況が生まれた。
 そこで立ち上がったのが市民である。戦後復興の市民の力となった歌声(合唱)で、「東北のシカゴ」からの脱却を図ろうとしたのである。その一大転機となったのが、「『百万人の大合唱』<須川英三監督、キャスト 若林豪、酒井和歌子、峰岸隆之介(現・徹)、フラワーメグら、1971年、東宝>という映画であった」(郡山市教育委員会文化課・猪狩明宏さん談)という。
 この映画は、暴力の街から“音楽都市こおりやま”へと変貌するきっかけをつくった1人の男の勇気と、音楽活動が街に奇跡を起こした昭和30年代の郡山市で起きた実話を題材としたものであった。この映画音楽を担当した山本直純氏の「1発の銃弾は1人の命を奪う。1節のメロディーは100万人の心を奪う」という言葉は、今でも郡山市民の心に刻み込まれているという。
 この映画の上映をきっかけとして、音楽によるまちづくり運動がより活発化して、いつしか“音楽都市こおりやま”という新しい都市像が市民の間に定着したという。
 こうした伝統は、営々として現在に受け継がれてきた。その筆頭は、福島県立安積黎明高校合唱団(旧安積女子高校)が全日本合唱コンクール全国大会において、「27年連続28回金賞受賞」という偉業に代表される。高校生だけではなく、16の合唱団で構成される「郡山市おかあさん合唱連盟」や、全小中学校で構成される「郡山市音楽教育研究会」などの活動は、全国的に高く評価されている。
 合唱だけではなく、器楽活動も盛ん。昭和20年代から市民グループによる演奏会が活発に行なわれ、やがて「郡山市民オーケストラ」へと発展。現在、“音楽都市こおりやま”の一翼を担う演奏団体に成長している。


「ベンチ・イス」設置活動がスタート

 さて、そこで「ベンチ・イス」と音楽の関わりである。仕掛け人の1人である「世界ベンチ・イス創作コンテスト実行委員会」事務局の遠藤誠さん(郡山商工会議所開発事業部長)は、その背景を次のように語る。
「郡山駅前通りが2年前に改修され、天井が高く明るいアーケード街に改修されるとともに歩道が広くなりました。歩きやすくなったのですが、商店街の通りは結構長いので、ちょっと休めるベンチが欲しいね、という声があがりました。そこで、商工会議所が中心となって街の中にベンチを設置する議論が始まったのです。そして、どうせやるなら、“音楽都市こおりやま”のイメージアップに貢献できるものにしていこうというアイデアが出されたんです」。
 話はトントン拍子に進み、「世界ベンチ・イス創作コンテスト実行委員会」という組織が立ち上げられた。これは、郡山商工会議所の呼びかけに賛同した地元の木工組合や商店街振興組合、観光協会など30数団体で構成されたものである。
 同委員会では、“音楽都市こおりやま”のイメージアップのため、“音や音楽”をテーマにしたベンチ・イスのデザイン画を広く世界に募集。応募されたデザイン画は、1次選考会で入選作品を決定。入選者は、製作者となる福島県郡山地区木材木工工業団地協同組合の専門家と連絡を取り合い、デザイン画を修正しながら形にしていく。出来上がった入選作品は、2次選考会(公開審査)で各賞が決定する。グランプリには、賞金20万円と副賞として、郡山の特産米である「あさか舞」が贈呈される。


ベンチを管理するのは「里親」

 これらの入選作品は、中心街の商店主が「里親」となり、道路管理者の許可を得て、店先の歩道に設置され、利用される仕組みである。「里親」には入選作品のベンチ・イスが引き渡され、その管理を担うことになる。歩道にベンチが置かれている街は多いが、汚れていたり、ごみが散乱していたりなど利用されないケースが多い。「里親」が責任を持って管理することによって、ベンチ・イスは商店街のお洒落な休息空間として活用されることになる。
 第1回コンテストは2006年に開催され、305点の応募作品があった。ピアノや木琴、カスタネット、音符などをイメージした14点が入選し、地元の素材を用いて制作された。制作費は、1点当たり20万円から30万円、合わせて約370万円かかったが、すべて実行委員会が負担した。
 グランプリに輝いた「ピアノソナタ」というベンチを店先に置いている里親の「GALLALY観」店主の佐藤摩利雄さんは、「モダンなデザインで、普通のベンチよりは断然いい。お客さんからも好評です。いつも、誰か座っています」という。「夜間は、酔っ払いなどにいたずらされないように、毎日、店内で保管しています」と、付け加えた。
「夕方になると、このイスに座ってギターを演奏する若者たちが増えています。音楽が似合うイスがとっても素敵です」(ラブリーカスタネット姉妹の里親「丹野商会」の丹野郁子さん)。
「里親になってよかったと思います。来院される方の付き人の待合場所としても利用されているようです」(リズムベンチの里親の「寿泉堂クリニック」事務長・助川清さん)。
 “音楽ベンチ”の商店街への設置は、「里親」からも好評である。「世界ベンチ・イス創作コンテストの試みは、音楽の都市としてのイメージアップのみならず、中心街の再生、地産地消といった一石三鳥の効果があったのではないかと思っています」と、実行委員会の遠藤誠さんは胸を張る。
 しかし、今後の課題も多い。「やり始めた以上、最低3年間は続けたい」と遠藤さんは言うが、その維持費をだれが負担していくのかということは解決していないという。これまでの経費(年間約720万円)は、商工会議所の事業費と福島県の補助金によって賄ってきたという。しかし、これからもこの経費が継続される保証はない。
 今後、どのようにして、市民と商店街、民間企業、行政とが連携していくかが大きな課題となっている。
「実は、“音楽都市こおりやま”を標榜していながら、行政内部の縦割り行政がネックとなっています。今、行政内部の横断的な取り組みをしていこうと調整を始めたところです」(前出の郡山市役所・猪狩明宏さん)という。
 「協働」という言葉は、最近ではまちづくりの流行語になっている。文字どおり、「協働」ということがまちづくりの手法として本物になるためにはもう少しの時間がかかるようである。